眠らぬ街のシンデレラ
□海岸線の赤いライン*遼一
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あのとき企画書で出してきただろ?
名無しさん、お前の希望だからな。
男性視点の話にしてみようか。
ということで今回も遼一目線のお話。
冷たい夜風が肌にしみ、息が白く染まる。
「ああ…寒っ」
当然口に出したからといって寒さが和らぐわけでもない。
こんな時に思い出すのは一人のある女性の顔。
なぜかその顔を思い出すと寒さが和らぐような気がしてならないのだ。
その女性の柔らかな雰囲気がそうさせているのか、単に遼一の恋心のせいなのか…本人にさえ分からなかった。
(名無しさんに最初出逢った時はなんて地味な女だと思ったな。)
そう、その女性は名無しさんといった。
思ったことが顔に出やすく、純粋な女性誌編集者だ。
おそらく遼一と出逢った日、その日は彼女の編集者としての初仕事の日だったはずである。
(あいつ絶対俺のこと嫌ってたな。露骨に顔に出てたし。)
あのときの名無しさんは、遼一を嫌ってたというよりはむしろ作家"廣瀬遼一"のイメージと目の前にいる"遼一"とのギャップにがっかりしていたといったほうが近いかもしれない。
まあ、遼一の行動も、名無しさんに好かれるものだったとは思えないが。
作家"廣瀬遼一"は女性視点の女性の心をわしづかみにするような小説を書く。
とくに名無しさんが好きなのは遼一の初期の作品「海岸線の赤」である。
『ゆかりは、口紅を手に歩き続けた。
防波堤に伸びていく真っ赤なラインが途切れてもなお、ただただ歩き続けた。』
フラれた女の子が彼からもらった口紅で防波堤に長いラインを描いていく。
そのシーンが切なくて…
胸が詰まる思いがして…
名無しさんはいつのまにか廣瀬遼一のファンになっていた。
最近では、
「その赤いラインが赤い糸になってゆかりに幸せが訪れるといいなあ」なんてよく呟いていたりする。
(俺にもそんな純文学を書いている時期があったな。)
遼一は今は純文学を書いていない。
でも今なら…なんか書けそうな気がしている。
皐月さんにも理香子にも雄大にも…
当然名無しさんなんかにも言いはしないけど。
そんなことを言ったら当たり前のように見せろといわれるだろう。遼一はそれが怖い。
今純文学なんて書いたら自分の感情を、思いの丈を、文章の端々に落としてきてしまいそうで…。
そんなこんな考えているうちに遼一は当の目的地、カジノへと着く。
ここは、なにかと頼りになる人物である北大路皐月が経営する合法カジノである。
(あの人はまったく、すごい人だよ。
ホントになんでもできるからな。)
でも、紳士的で、誰にでも優しく、
そういうのに弱いであろう名無しさんに思いを寄せる身としてはやはり気の置けない人物…だったりする。