眠らぬ街のシンデレラ
□bride*遼一
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「それにしても広いなあ…一人でこの部屋は。」
そう呟くと遼一は今まで咥えていたタバコの火を強引に消すと、何かを思い立ったかのように足早に書斎へと向かったのであった。
遼一side
――遼一の携帯に電話があったのは今からちょうど1時間前。
あの、遼一さん?
そう呼び掛ける声はとても小さい。
『突然なんですけど、私、遼一さんの担当から外れることになりました。
そして転勤することになったので引っ越すことにもなりそうです。』
この季節、配属が新しくなり担当が代わることもあまり珍しいことではない。
よくよく聞いてみると、転勤は現在いる東京からは遠い、四国とのことだった。
「あー…そうか…」
電話越しの彼女の声はとても小さかったが、もうさよならですね。なんて言っているように遼一には聞こえた。
「…そうだな
今までお疲れサン
じゃあ次の原稿で最後だな。来週の水曜日でいいか?… ああ、待ってるからな」
そう言って遼一はあっさりと電話を切り、一つ溜め息をついた。
次で最後か。
彼女にとって、今まで無理難題を押し付けてきた自分の担当は辛かっただろうか、さんざんイジめた自分の担当から外れることでホッとしているのだろうか
…彼女にとって、自分はどういう存在だったのだろうか?
タバコに火を付け、遼一は自室の大きなソファに座り考え続けたが、問いの答えを出すことは出来なかった。
そして部屋を見回して呟くのだった。
「それにしても広いなあ…一人でこの部屋は。」
side名無しさん
ある程度の期間を終えたら東京に戻るというものではあったが、編集長から人事異動の話を聞いたとき目の前が真っ暗になったようだった。
一番辛いこと、それは遠くの土地に行くことより、仕事場が変わってしまうことより…
作家、もといそれだけでなく名無しさんが想いを寄せている相手、廣瀬遼一と逢えなくなることであった。
真っ先に思い浮かべた顔を想像しながら必死に自分を納得させようとする。
いつも意地悪ばっかり言って、私のことを弄んで…私をその気にさせて。
でもきっと私のことなんてただ遊んでいるに違いないんだ。
遼一さんに遊ばれているんだということを自覚しながら等閑にしてしまった、
自分への試練。
自分へのけじめ。
そう言い聞かせて電話を手にとると電話をかけ、その相手、おそらく遼一に今回のことを話すとけじめをつけるかのように"さよなら"という言葉を残して電話を切ったのだった。
これで…いいんだよね?
遼一side
「あと1ヶ月…」
そう呟いて原稿にペンを走らせる一人の男がいた。
ちょうど1ヶ月後は男の想い人、名無しさんが引っ越す日であるのでその男、遼一はきっと、彼女のことを考えているのだろう。
今遼一が手を付けている原稿は今度名無しさんに渡すものではなく…新作のようだ。
題名には『無題』とだけ書かれている。
それからというものの、遼一は毎日毎日その原稿と向かいあった。
――まるで見えない時間に追われるかのように。
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数週間後
「やっと…終わった」
そう呟いた遼一は上着を手に取ると足早に目的地へと向かったのだった。
そう、今日は名無しさんの引っ越しの日であったのだ。
名無しさんは電車に乗っていた。
「移動時間の暇潰しになるだろ」
といって見送りに来てくれた遼一が渡してくれたのは書きっぱなしの原稿の束であった。
訳が分からずただ見送られた名無しさんは
もっと何か言ってくれてもいいのに…なんて期待した自分を恥じた。
遼一さんにとって私は仕事相手でしかないのにね。
そう自嘲して、手中にある原稿目を落としたのだった。
遼一さんの物語は凌という男の目線で書かれた純愛の物語であった。
「俺は彼女に想いを告げることも、引き留めることもできないのだ。」
凌は想い続けた相手、さくらとは遠距離恋愛をしていた。
そのあとも凌の切ない想いが溢れていたが、
長年を経てやっと想いを告げ、二人は結ばれることができた、という内容であった。
読み終えた名無しさんの眼には涙が溢れていた。
遠距離恋愛に自分を重ねてしまって。
私の場合は片想いなのにね。
『愛してるよ、遼一さん。』
何度も何度も名前を口にした。
どれほど呟いても本人には届かないのに。
その物語の裏に気付くことが難しいくらい慎ましく小さくメッセージがついていることを名無しさんは知らない。
名無しさんへ。
さくらはまるでお前みたいだな。弱そうに見えて意外と頑丈な所とかな?
でも向こうへいって、もし風邪引いたらちゃんと休みなさい。
その為にも冬は温かくしろよ。
あと、戸締まりわすれんなよ。
じゃあな
追試
あと、一人で住むのに俺の部屋は広すぎる。名無しさん、東京から帰ってきたら俺と一緒に暮らしなさい
名無しさん、好きだよ。
遼一
もう一つ、名無しさんは気づかなかった。
題名には何故か二本線が引かれ、消されてあり、脇にbride、いわば花嫁と書かれていたことを。
"俺のヨメ"なんて名無しさんが呼ばれるのはそう遠くない未来、なのかも知れない。