背番号「1」は5年生

□デビューはベンチから
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2007年4月21日(土)
 4月になりプロ野球も本格的にスタート
 しかし西大阪スピッツのスタートは3週間待ちだった
 春休み中は動けず、動き出しても急には無理だ
 各チームが臨戦態勢を整え、新人戦が始まった

 西大阪市内の8チームがトーナメント形式で戦う
 負ければ終わりの一発勝負
 新人戦と呼ぶには過酷だ

「マジ?」
 先週の練習後、健太は対戦表を持って帰った
 西大阪スピッツの初戦は、開会式直後
 相手は毎年の優勝候補・大阪シャークス
「絶対に抑えてやる」
 健太も戦闘態勢にある

 シャークスには健太なりの借りがあった
 団体競技に個人的感情を持ち込むのは良くない
 しかしそれがモチベーションを上げるなら構わないはずだ

 事件は奇跡の返球の試合中に起こった
 レフトオーバーのヒットを回り込んで処理した健太が2塁で打者走者を刺した、あの試合だ

 シャークスベンチが一斉にセンターを守る健太を野次り始めた
 野次の集中砲火である
 もちろん選手が思い付くはずがない
 そんな子供は末恐ろしくて嫌だ

 野次は野球とは関係のない、健太の身体的特徴にまで及んだ
 俺は3塁側スピッツの応援席にいたが、依子がいなければ殴り込んでいたかも知れない
 いや、俺が殴り込むより先に依子が立ち上がったのだが

 攻守交替で守備位置からベンチへ戻る健太は、目から涙を溢れさせていた
 守っている間に涙を流せば打球が見えない
 だから必死に堪えていたのだろう
 俺はベンチに入ろうとする健太を捕まえ、遊具の陰に引き込んだ

「何でお前を野次ると思う?」
「お前がボロボロになったら向こうが得する」
「お前の能力を発揮させんための野次や」
「つまりお前は敵に恐れられている」

 そう説明してやると涙は一瞬で乾き、健太は大声で喚きながら打席へ向かった
 打席で大声を出すのは、自分を鼓舞するために許されている
 むしろ推奨されている
 左打席に入った健太の背中に、1塁側シャークスベンチから集中砲火が始まった

 初球
 まさか故意だとは思えないが死球
「卑怯者!」と依子が叫んだ
「そうは思えん」と俺はなだめる
 同点の場面で試合も終盤
 無死から走者を出すほどバカな試合はしないだろう

 すでにスピッツベンチから指導者が飛び出して介抱している
 いくら保護者でも試合中のグラウンドは基本的に立入禁止
 見ていると健太は地面に寝転がったまま大笑いを始めた
 そして笑いながら立ち上がり1塁側ベンチを向く
 笑いを止めると息を吸い込み、相手20人前以上の大声で言った
「ありがとうございます」

 完全に健太の勝ちだった
 その気になれば健太の声は恐ろしくデカい
 1塁走者となり投手を野次った
 野次り返した
 捕手も野次った
 三塁手も野次った
 次にプレーの起こりそうな場所の選手を順番に野次った
 野次って野次って野次り倒した
 野次られた選手の所に打球が転がる
 そんなことが続くと、野次られただけで選手の緊張が見える
 健太は相手の9人を、野次で金縛りにした

「あんなチームは許せん」
 勝ったからと言って、次の試合で負けては意味がない
 次こそ相手は勝ちに来る
 もっとどんな手段を使ってでも勝ちに来る
 だから余計に負ける訳にはいかない
「絶対に勝つ!」



「健太、大丈夫かしら」
「ともかく頑張るでしょ」
 試合は午後1時から
 依子が作った弁当を持って、健太は学校での午前中の練習から参加している
 俺は例によって無償の在宅残業が明け方まで
 5時間ほど寝て依子を乗せて球場へ駆け付ける

 Cチームの頃は小学校のグラウンドがメインだった
 しかしAチームには市営の専用球場がある
 少年野球用のサイズに作られた球場は、市内の野球少年の憧れだった

 これまでにも背番号「1」の5年生はいただろう
 健太がどこまで活躍できるか分からない
 分からないが、健太なら大丈夫
 ともかく頑張るに違いない

 グラウンドに着くと、既にチームは到着していた
 車移動だったので、もう一度柔軟体操から始めている
 どうやら昼食は学校で済ませたようだ
 俺たちを見付けるとVサインを出して見せた
 俺は親指を立てて返す
 依子がどうしたのかは見ていなかった

 前の試合が終るのを待って、選手たちに続いてグラウンドに入る
 さすがに観客用の出入り口はないが、ひな壇になった専用応援席もある

 試合前の練習で健太はブルペンにいた
 2人並んで投球練習できるが、一番熱が入っているのはキャプテンの星川君に見えた

 桐畑君や藤田君も順番に投げている
「健太の先発はないなぁ」
「どうして?1番なのに?」
 やはり健太は「空き1番」かも知れない
 まぁそれでも構わない
 1番は1番
 第一刑事部は第一刑事部
 関係ないか?
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