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□やさしいなみだ
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あと数ページでハッピーエンドに辿り着くところだった。
ぽつり、ぽつり。突然、本の上に水滴が落ちてきたので、何事かと思い天井を見上げる。するとそれは雨漏りでも何でもなく、自分の目から零れ落ちたのだと気付いた。
何故なら今日は朝からよく晴れている。でも、図書室の中はこれでもかというくらい暖房が効いている。


夏に部活を引退して以来、俺は特別な用事がない限り放課後は図書室で本を読むことにしている。
と言ってもここにある本は一年生の時に読破してしまったので、自ら書店で買った新刊だとか、テニス雑誌がほとんどだ。
弦一郎は本を読む暇があるなら勉強をしろと言うけれど、読書も立派な勉強だと反論すると彼は次の日には本の虫となっていた。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
俺は濡れてしまったところをハンカチで丁寧に拭き取った。
冬の日没は早い。辺りは既に真っ暗で、図書室に残っているのは弦一郎の言う「勉強」熱心な連中ばかりである。

「なんで」

外部受験をする。俺がそう言うと、赤也は悲しんでいるというより戸惑っている様子だった。
昨日のことだ。いつかは言わなければいけないと思っていたが、予想以上に大袈裟に反応したので、心臓がちくりと鳴いた。

「少し気分転換がしたくてな。東京か、或いは大阪の私立に行こうと思っている」

「もう会えないじゃないすか……」

「おまえが来ればいい」

言いながら、なんて自分は卑怯な人間なんだと自嘲する。
赤也のことは、多分、赤也が俺を好きになるずっと前から愛していた。
ただお互いに恋愛に積極的ではないから、男女が付き合う前の、曖昧でくすぐったい関係が続いていた。
例えば二人きりで映画を見に行ってみたり、意味もなく手を繋いでみたり。心臓は時々おかしくなりそうなくらいに高鳴るけど、何も始まっていないのだから終わる心配もない。
なんとも甘美な距離感だったが、それでも彼は言って欲しかったのだろう。他でもない俺の口から、おまえのことが好きだと。

「そうだろう、赤也」

俺は聞き分けの悪い幼子に問い掛けるように少し語尾を上げて言った。
結局のところは怖かったのだ。
テニスでもそうだったように、データを駆使したところで100%なんてものはいとも簡単に崩れ去る。
ならば、赤也の愛がなくなってしまう前に、傷付いて泣いてしまう前に身を引くのが定石ではないのか。

「わかんねぇ……。なんで、柳先輩は」

赤也はぎゅっと唇を噛み締めた。

「俺のこと好きだったんじゃないんすか?……とおまえは言う」

わかっている。おまえが言いたいことは全てわかっているのに。
せめて卑怯な俺を嫌ってくれればいいと、胸の痛みは無視してそう祈った。


***


閉館を知らせるチャイムに、俺はハッとして目を覚ました。
いつの間に寝てしまったのだろう。普段なら読書中に寝ることなど有り得ないのに、手元にある本のページにはくっきりと涙の跡が残っている。
まさかハンカチで拭いたところから夢だったのか、それとも……。

「どちらにしろ、ただの馬鹿だ」

溜め息を吐いた。暖房はとっくに切られていたようで、足先が凍えるほどに冷たい。
でも、独り言になるはずだったそれは消えることなくあかりを灯した。

「柳先輩がバカなら俺なんて大バカじゃないすか」

一瞬、俺はまだ夢の中にいるのだと思った。
俺が知っている赤也はあまりにも従順で、好きな男に別れを告げれても反論すらできない。
いや、できなかったはずだ。少なくとも昨日までは。

「赤也……」

「好きなんすよ。あんたを諦めることなんて俺にはできねぇ……。柳先輩もそうっすよね?」

へらっと笑いながら赤也が言う。
ぽつり、ぽつり。何と返していいかわからず、しかし反射的に赤也の頭に手を伸ばすと水滴が頬を伝ってそのまま床に落ちる。
そうだ、俺は。

「悲しかったんだ……。好きなものを好きと言えない自分が、悲しかった」

泣きながら赤也の体を抱きしめた。どうやら俺は情けないほどにこの男が好きらしい。
ふと、もしこれが逆の立場だったらと俺は考えた。
赤也が俺を置いて行くと言ったら……。
俺は首を振った。

「泣くな赤也。もうおまえを諦めたりしないから」

「うっ……」

「ああもう、可愛すぎるだろう」

とりあえず今日は、頑張ってくれた彼に口付けでもしようか。
ふうっと溜め息を吐いてから、俺は二人分の涙を拭った。





110827

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