short2

□夕立
1ページ/1ページ



久しぶりに真田から電話が掛かってきた。
外は雨が降っている。俺は洗濯物を取り込んでいるところだった。取り込みながら、晩御飯のメニューを考えたりしていた。ただの通り雨なら良いのだけれど。

「子犬が欲しくないか?雑種なんだが、オスメス両方生まれたから好きな方を選ぶといい」

電話口の声は驚くほど優しい。
雑種。そういえば何年か前に娘が子犬を拾ってきたと言っていたが、つがいとしてもう一匹飼っていたのだろうか。
三人と二匹、それとプラスアルファーの生活を思い浮かべる。金が掛かりそうだ、と俺は思った。

「まあ、悪くないかな」

「そうか。いや、実を言うと困っていたのだ。外で犬を飼うべきではなかった」

「野良の子か」

窓の外を見るとだんだんと雨脚が強くなってきた。
少しの沈黙が流れ、今度は重い口調でそうだ、と真田はこたえる。
途端に俺は泣きたくなった。
どうして昔の男にそんなことを言うのか、だけど肝心の涙が一向に出てこず諦めて電話を切る。
好きだった。愛していた。けれども俺達は、互いの居ない生活に慣れてしまっている。もう十五年も。

「洗い直さないと駄目だな」

洗濯物には雨の匂いが染み付いている。もう一度洗濯機に放り込んで、ぐるぐると回しただけで綺麗になれればいいのにね。
でもそれは、やっぱり独り言でしかなかった。


***


月に一度、決まって第三月曜日の夜に俺と蓮二は一緒に晩御飯を食べることにしている。
きっかけは蓮二の結婚――彼曰わく「新婚生活ほど退屈なものはない」――で、彼の奥さんにしても旦那の居ない夜をそれなりに楽しんでいるらしい。なんとも悲しいことだが、でもそれも一つの愛の形なのだと言う。
俺と真田の場合はどうなのだろうか。
俺達はずっと友達以上恋人以上の関係なのだと思い、出会ってすぐの頃――まだ学生で、十代だった――から数年間一緒に暮らしていた。
蓮二も「おまえらは熟年夫婦のようだな」と言っていた。

「このまま、歳をとってもずっと一緒に居られればいいのにな」

俺は度々、性に合わないなと思いつつも遠くない未来を語った。
春になったら花見に行こうとか、初任給で新しいテレビを買おうとか。
真田は、笑った。

「小さくてもいいんだ。庭付きの一戸建てを買ってさ、朝は必ず二人揃ってご飯を食べる。家事は分担だからな。そうだ、子供は作れないからペットも買おう」

「何が飼いたいんだ?」

「真田みたいなおっきな犬がいい」

たぶん、心のどこかでは子供じみた夢だと嘲笑っている自分もいたのだと思う。
けっして簡単なことではなかったから。
俺達は互いに依存し過ぎないように、俺は蓮二を、彼は今の奥さんを時々愛していた。それは危険な賭けだった。

「あいつも、娘がかわいいのだろう」

今夜は学生の頃によく通ったチェーン店の居酒屋に来ている。ずっと晴れていたはずなのに、また夕方から雨に降られてしまい靴下を脱いでテーブル席に座る。
犬の話をすると蓮二は薄く溜め息を吐いた。酷なことに、彼の言うことはいつだって正しい。

「だが、よく引き受ける気になったな。おまえらしいと言えばそれまでだが」

「単なる気まぐれだよ」

俺はウーロンハイとチーズやら明太子が入った餃子を頼んだ。こんな脂っこいものもう食べられるはずがないのに、どういうわけか。


真田が結婚するのだと告白した日も俺達は同じベッドの上で朝を迎えた。低血圧の俺は寝ぼけ眼のまま彼の唇を捉え、それから首筋と心臓の辺りにキスをした。
すると彼は泣きながら

「おまえが居なくなる夢を見た」

と。
でも、そう見えただけで本当は泣いていなかったのかもしれない。
なにしろその時は悲しくも何ともなかったのだ。
ああそうなんだ。その一言で全てを片付け、胸の奥に仕舞い込む。
そして本当に、昨日、真田の声を聞くまでは昔のことなど忘れてしまっていた。
奥さんが娘を産み、その娘が子犬を拾ってきたことを知ったのも蓮二からの又聞きだ。

「外で犬を飼うべきではなかった」

そんなに優しい声を出せるなら過ちなど認めなければいい。
もし今の生活を後悔しているというなら、早く帰ってくればいい。



「それにしても、いつまで降り続けるんだ」

餃子を箸で二つに割ってから口に運んだ。しょっぱい。
俺が答えないので蓮二の疑問もまた独り言に変わり、宙を漂った。
外は雨が降っている。真田は電話口で子犬が欲しくないかと言う。いっそのこと、雷でも鳴ってしまえば良かったのに。





110822

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ