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□後退的論証
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俺の男は、俺が知らない間にいつの間にか死んでしまっていた。
でもそれは誰が悪いとかそんなんじゃなく、多分、初めからそうなる運命だったのだと思う。


水曜日。同僚からの誘いを断って急いでスーパーへ駆け込むと、今朝チラシで見た特売のこま肉は残り数パックとなっていた。
俺はそれら全てをカゴの中へ投げ込み、次に青果コーナーへと向かう。
弦一郎は、どうしようもないほどの肉食なので、俺の帰りが遅い日には塩コショウで炒めた肉だけで晩御飯を済ませてしまうことが度々ある。しかも国産の肉だけを。
最初のうちは注意していたのだけれど、きっと、あれは中毒なのだ。
だからせめて、土日と残業の無い水曜日だけは俺が食事の面倒をみてあげなければならない。
青々としたピーマン。茄子。人参。かぼちゃ。それにトマトなんかを入れた夏野菜カレーはどうだろうか。
俺はカレーが好きだ。作るのも食べるのも手間要らずで、それに、一晩寝かせれば更に美味しくなる。再生する。
でも、俺達はもう前には進めない。

「俺と一緒に住まないか」

弦一郎にそう言われたのは大学三回生になる前の春、俺の二十歳の誕生日のことだ。
普段はめったに食べないケーキを二人でつついて、反吐の出るような甘ったるい会話の後に何度かしたセックスの合間。それはとても魅力的な言葉だった。

「2105円になります」

レジの女の子の声にハッとする。
今日も俺の財布からは二人分の食費が消えた。


***


弦一郎との生活は新発見の連続だった。
中学からの付き合いなので互いのことは何もかも知り尽くしていると思っていたのに、例えば毎朝見ているニュースのチャンネルだとか、彼にしても、俺がミケと一緒に風呂に入っていることまでは知らなかったのだろう。
服を全部脱いだ後にミケを探していると、弦一郎は何を思ったのか

「精市」

と、諫めるように俺の名を呼んだ。精市、そんな格好でいては風邪を引いてしまうぞ、と。

「大丈夫、俺は女じゃあないんだ。今は夏だし、むしろちょっと暑いくらいだよ」

「だが夏風邪がいちばん厄介だ。おまえに何かあったら、俺は……」

弦一郎がくしゃくしゃに顔を歪める。そのまま、剥き出しのモノに熱が伝わって俺達はセックスをした。
骨の髄まで食べ尽くしてしまうような。
ミケは毛並みの良い温和しい猫だった。
でも、最初に死んだのはミケだった。


どうしてこんな事になってしまったのか。野良猫が、にゃあと鳴いて足下に擦りよってきた日には全てが幻のように思えてしまうが、しかしこれは現実――俺と、俺の男に実際に起こっていることである。
あの日俺は、ミケがいつものように窓から外に出て行くところと、それから少し経ってから家を出る弦一郎を見た。確かに見たのだ。

「どこに行くんだい」

彼の広い背中に問い掛ける。
キャップを目深にかぶった弦一郎は何も答えず、ただ触れるだけのキスをすると俺の体を強く強く抱きしめた。
彼がおかしくなってしまったのは――今思えば、なのだが――それからだ。
まるで子供時代に戻ってしまったかのように駄々をこねる日もあれば、突然、床に組み敷かれて俺の中に入ろうとする。
四回生になる頃には大学も休みがちになった。

「今年はどこも厳しくてな。俺なりに頑張ってはいるのだが……」

内定を貰ったことを報告し、弦一郎は、と訊くとどこか遠くを見つめながら言った。

「おまえなら大丈夫だよ」

嘘。本当はもう期待なんてしていないくせに。
細胞のひとつひとつが音を立てて壊れていく様子が、俺にははっきりと見えた気がした。


***


家に帰ると、弦一郎はいつものようにリビングのソファーの上で惰眠を貪っていた。
閉め切った部屋の中はまるでサウナのように蒸し暑い。多分、人が生活できるギリギリの温度だ。
テレビは点けっぱなしで、つい数年前まで深夜のバラエティー番組を担当していた女性アナウンサーが食レポをする様子が映し出されている。

「このカレーはルーがとても濃厚で――」

俺は笑った。笑ってから、弦一郎を起こさないようにエアコンの電源を入れて――律儀にタイマーだけはセットしていたようだ――スーツのまま台所に立つ。
学生時代の友人は、最近の弦一郎を気味悪がって家に遊びに来ようとしないし、俺も誘わない。
仕方ないことだ。ニートで、ヒモで、肉ばかり食らう彼はもう昔の彼ではないのだから。

「弦一郎、ごはんだよ」

コトコト煮込んだカレーを更に皿に盛り、弦一郎を揺り起こす。
恐らくまだ夢現だったのだろう。


猫はどうした。ミケならずっと前に死んでしまったよ。俺が殺したのか?違う、やったのは俺だよ。

「君が、それを望んでいるような気がしたから」

俺は死にゆく俺の男に甘い嘘を吐く。
そして夏野菜がたっぷりと入ったカレーを一口、ほとんど噛まずに胃袋へ流し込んだ。





110820

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