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□幻影
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精神世界を漂うのはあまり気持ちの良いものではなかった。
パッと途切れ途切れのイメージが浮かんでは消え、骸を仄暗い過去へと誘おうとする。
幸せだと呼べるものは何一つなかった。
気付いた時には己の足だけで立っていたし、特異な能力を受け止めるまでには何度血反吐を吐いたことか。
全ては苦しみと悲しみの産物。
幼少の自分が報われる日は、恐らく一生来ない。


「おや、誰かと思えば」

暫く宛もなく辺りをさ迷った後、骸はある場所で立ち止まった。

ここには一度だけ来たことがある。
いつだったかは覚えていない。
けれど確かに、眼前の暗い青色の髪をした男のことはよく知っていた。


「デイモン・スペード」

「様くらいは付けたらどうです?私は初代霧の守護者なのですよ」

「……どの面を下げて」


込み上げてきた感情は怒りだ。
今すぐに彼を殺してしまいたい。

理由?
さて、なんでしたでしょうか。

肉体の無い状態だと思考までもが曖昧になる。
そういえば昔自分と似た娘に出会った時も、口から出た言葉が本心だったのかとよく逡巡したものだ。
骸は何よりも自分に反抗的なものを嫌う。
或いは従順な犬が欲しかったのだとその時は結論付けたが、確証は無い。

デイモンもまた、娘とは違った意味で骸に似た嫌みのある笑みを浮かべた。


「お前が私を嫌う理由がどこにある。むしろ感謝して欲しいところですね」

「僕はあなたとは違います」

「愚かなデーチモを愛していたと?」

「愚かで弱い、でしょう」


デーチモ……骸は一瞬、それが誰を指す言葉なのか思い出すことが出来なかった。
名前は記憶している。
プリーモの血を受け継いだ少年、沢田綱吉。
彼は弱いけれど、自分には無い芯の強さを兼ね備えた不思議な少年だった。

その小さな拳一つで君は何を守れますか。
僕を、
僕の心を守ってはくれないのですか。


「ええ、それは間違いない。だから私は彼を殺しました。……いや、単に嫌いだったのかもしれない」



***



骸はハッとして目を覚ました。
体が驚くほど冷えている。
まず視界に入ったのは沢田綱吉の今にも泣き出しそうな顔で、その後ろにはよく知った天井が映っていた。


「君には…嫉妬するくらいに、涙がよく似合います」

「な…第一声がそれかよ!せっかく、せっかく人が心配して」


不意に途切れた言葉は泣き声に変わった。

ここは沢田綱吉の部屋だ。
実際に来たことは一度もないが、幻覚としてなら何度も見たことのある風景。
まだ子供っぽさの残るカーテンやシーツの配色が骸は好きだった。


「僕はどれくらい眠っていたのですか?ここに来た経緯も、何故君が泣いているのかも僕には判断がつかない。そもそも君は……」


その時初めて、骸は精神世界ではなくただ夢を見ていたのだと悟った。
限りなく広がる闇に、過去の亡霊。
どうせならもっと心地良い、何でもない平穏なものに会いたかった。

だけど、ここに居る彼は確実に生きている。
心臓が動いている。
触れた腕が、酷く温かい。


「事故だったんだ。牢獄から出られて日本に帰って来たその日に、俺を庇って君は」

「ありがとうございます」

「……え?」

「君にはもっと伝えなければいけない言葉があるのですが、今はこれしか思い浮かびません」


骸はのろのろとベッドから這い出た。
体が冷えていた原因はガンガンに効いている冷房の所為らしい。
だとすれば季節は真夏か。


「僕は君が嫌いだから、誰よりも君が欲しくなるし、愛してみたい」


他でもない愚かで弱い君が、僕を救ってくれそうな気がするので。




110609
Happy birthday MUKURO!!

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