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□不戦敗
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跡部さんは楽しそうに目を細めると、ニッと口角を上げて笑った。

出来る男は仕草一つ取っても他の人間とは違うらしい。
嫌みに見えるはずの動きでも、跡部さんがやるとどこか上品に見えてしまうから不思議だ。


「なかなか良い度胸してんじゃねーの。初来店で俺様を指名する客はそうはいねぇぜ」

「でしょうね」

「フッ、気に入った。今日は好きなだけ飲みな」



跡部さんに通された席は店のいちばん奥、つまりはVIP席だった。

暗がりでよく見えなかったが客の大半は男で、結局はここで働いてる連中も俺と同類なのだと悟る。
メニューを持ってきたボーイなんかは見るからにケツの穴が緩そうな顔をしていた。


「俺、酒ってよくわからないんですけど」

「ならこれでも飲んでおけ」

「白ですか。まあ、これなら」


差し出されたグラスにそっと口を付ける。

俺は、煙草はやっても酒はやらない。
酔った勢いで客と揉め事でも起こしたら厄介だし、なにより客相手に本気で感じたくないからだ。


けど、今夜は特別だ。
目の前に上等の男が居る。

跡部さんのような男を骨抜きにすることが出来たのなら、それほど痛快なことはないだろう。


グラス一杯を飲みきったところで、俺は跡部さんの肩に寄りかかった。


「いくらで買えますか?」


店内には聴いたことのないクラシック音楽が流れている。

男物の香水ばかりが漂った空間はいつも行く悪趣味なジジイの豪邸に似ているが、ここの方がまだマトモだ。


跡部さんは一瞬間抜けな顔をしたが、次の瞬間には眉間にシワを寄せ何故か軽蔑するような眼差しを向けてきた。


「おまえ…まさか娼婦なのか?」

「だったら何です?あなたも似たようなもんでしょう。ホストも所詮色町の男だ」


そう、男娼もホストも客に値踏みされるという点では同じ生き物なのだ。

昼間の、OLのヒールがカツカツ響くような明るいオフィス街を歩くことはない。


俺は跡部さんの手を取り、客にされるように指と指の間を撫でる。


しかし彼は、より一層不快に顔を歪めただけだった。

そして、

「解せねぇな……」

と、一言。
隠しきれない嫌悪感がビシビシと伝わってくる。


「なんでテメェは、好きでもねぇ男と寝られるんだ? プライドは? それともテメェはただの能無しなのか?」

「な…っ!勝手なこと言うな!」

「アン?勝手なのはどっちだよ。 いいか小僧、ここはテメェが働いてるような安いっぽい店じゃねぇんだ」


安いっぽい…だと?

俺が一晩でいくら稼げると思ってるんだ。
それこそOLの比じゃない。

そりゃあ酒が無い分ホストには劣るが、それでも、俺は――


「ホストは金で買えねぇ。少なくともこの俺は、テメェが買えるほど安かねぇんだよ」


――ガタン。

グラスを置いただけなのに、妙にその音が大きく響く。


それは、まるで鈍器で頭を殴ったような衝撃だった。


「そんな……俺は、ただ……」


ああ、結局俺は、何をしたかったのだろう?

自問する。
今になって酒が体中を巡る。


……俺は、多分、ただ、この人が欲しかった。



「だがおまえは、まだ運が良かった。今夜出会ったのが俺様だったからな」


洗練された仕草で、跡部さんは二杯目の白ワインを注ぐ。

半分放心状態の俺はそれを食い入るように見つめた。


「……どういう意味ですか」

「アーン?そのままの意味に決まってんじゃねぇか。気に入ったと言ったのを忘れたのか?……俺様が直々に買いに行ってやるよ」

「は……どこの王子様ですか、あんたは」


けど、嫌いじゃないんだろう?

跡部さんの余裕の笑いが耳に響く。


俺は不覚にも速まる心音を無視しようとしたが、この男を抱くことはもう考えていなかった。





不戦敗


(――だけど、いつかは俺の手でと)
(そう願うくらいは許されるのだろうか)







110523

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