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□生温かい血汐と
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※雲雀男娼パラレル



「五万。払えるの、払えないの?」


情事後の気怠さは既に残っていなかった。

くしゃくしゃになった万札をポケットに突っ込んだまま、目の前に立つ金髪の男を見据える。
よくあるんだ、珍しいことじゃない。
夜の街で何人もの男に買われ、さまよい歩いてる時に知人に出くわすことなんて、別に。

例えばそいつが、昔の男だったとしても同じことだよ。
ろくに顔も見ずに「いくらだ?」なんて訊いてきた男が悪いのであって、僕にはこれっぽっちの非もない。


「……きょう、や」

「……払えないなら僕は行くよ。金曜日は暇じゃないんだ」

「ま、待てよ!恭弥、なんだろ…?」

男は僕の腕を掴み、喜びと困惑の入り混じった何とも言えない表情で縋った。
通行人の視線が痛い。

――恭弥。
僕はかつてそう呼ばれていた。
が、今の僕は『恭弥』じゃあない。

何故なら彼は死んだのだから。
最愛の恋人に裏切られ、知らない男に抱かれたあの日に。


「……知らないな、そんな男」

「嘘だ!この俺が間違えるはずない……なあ、そうだろ?」

「しつこいよ。咬み殺されたいの?」


僕はジャケットの内ポケットから小型のナイフを取り出し、男の首にあてがった。

「脅しじゃないよ。よく切れるんだ。さっきの客に貰った」

その証拠にスッとナイフを引き、血を滴らせる。
銀色が鮮血に染まる瞬間がたまらないとナイフをくれた男は言っていた。
成る程、その通りだ。

男は表情を強ばらせ、一歩、また一歩と後退りした。
……金髪が、ふわりと揺れる。


「俺が……俺が、あの時おまえを置いて行ったから……」

「ワオ、驕りかい?これだからイタリア人は」

「恭弥…っ!」

「黙れ!!」


……ああ、嫌だな、調子が狂う。

気付いたら肩で息をし、ありったけの憎しみを込めて男を睨み付けていた。
もう二度と見ないだろうと思っていた蒼の瞳。

僕は昔から……恐らく出会う前からこの男が嫌いだった。
だってマフィアのボスなんてろくな人間じゃないに決まってるだろ。
僕が欲しいのは強さと、僕をいちばんに愛してくれる人だけ。

そりゃあ、僕だって若い頃は色々と痛い間違いを犯したさ。
彼を信じてしまったことも無論その一つ。
あの日……彼がイタリアに帰ると行った日、僕は泣いて縋ったよ。
『僕を独りにしないで』『一緒に連れて行ってくれ』と。

だけど彼は行ってしまった。僕を置いて。
それでも最初の頃は律儀に彼からの連絡を待っていたような気もするけど、無駄だった。
ねぇ、堕ちるのは簡単なんだね。
僕は僕を好きだと言ってくれる人達に体を売り続け、こうして立派な男娼になった。


僕が愛してるのは、今も昔もあの人だけだ。
五年振りの日本で男を買おうとするような醜悪なマフィアのボスではない。

過去は、要らない。


「……わかった。今日は帰るぜ。引き留めちまって悪かった」

「わかればいいんだよ」

「ああ……本当に、すまなかった……」


男はようやく背を向け歩き出した。
街中の雑踏はすぐに男をかき消し、僕の心の中からも存在を消そうとしている。


『愛してるぜ、恭弥』

『安心しな。俺はおまえが守ってやるよ』

『俺が……俺が、あの時おまえを置いて行ったから……』


ふと、過去の記憶と男の声が重なった。

優しい瞳。
大きな手。
たくさんの、愛のコトバ。


「……もし貴方が僕を五万で買ったのなら、僕は一生貴方を許せそうになかった。

……だけど、さようなら。もう期待なんてしたくないんだよ」


僕は吐き捨て、また新たな客を取るべく前に進む。





生温かい血汐と


(この赤色は、あの人じゃ、ない)






110515


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