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□誰が為に
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※八年後くらい設定



シナモンの甘い香りが充満する店内では、雲雀さんだけが酷く不機嫌そうな顔をしていた。
まるでこの世の全てに絶望しているかのような深く長い溜め息をつき、
「それで?」
と、話の続きを促す。
俺は慌ててフォークを置き、この店でいちばん人気だというシナモンロールをミルクティーで流し込んだ。
それは予想以上に甘く、思わず咽せると山本が「大丈夫か」と優しく俺の背中をさする。
余計なお世話だと思った。
「そりゃあどうしてもって言うなら止めませんけど……」
「なら良いじゃないか」
「でもやっぱり、俺達には雲雀さんが必要なんです」
「そんなの僕の知ったことじゃないよ」
雲雀さんが吐き捨て、そうして話は振り出しに戻る。


雲雀さんが「ボンゴレを抜ける」と言い出して今日で三日になる。
むしろ俺やリボーンが驚いたのは、彼にボンゴレの一員だという意識があったことだ。
マフィア云々の世界に巻き込まれてから数年経つけれど、ボスである俺自身まだ嫌な夢でも見ているような気分なのに、彼は違った。
いや、この場合『変わってしまった』という表現の方が正しいのかもしれない。
出会った頃の雲雀さんは誰とも関わらず独りでいることを好んだ。
それでも自身の正義とボンゴレの正義が重なった時は、誰よりも力になってくれるのが雲の守護者たる所以だった。
何物にも捕らわれない孤高の浮き雲。
しかし彼は今、確実に捕らわれてしまっている。
それが悪いことだとは思わないし止めるつもりもないけれど、どうせならそのまま流されてしまえば良かったのに。
今日何度目かの沈黙の中で元凶を盗み見みると、山本は中学生だった頃と変わらない気の抜けた笑みを浮かべていた。


「まさか君も同じこと言わないよね、山本武」
その日初めて雲雀さんが山本に話を振ったのは、ウエイトレスが俺の二杯目のミルクティーを運んできた時だ。
飲食店特有の、短めに切られた綺麗な爪をした女性が慣れた手付きでティーカップを交換する。
ウエイトレスは雲雀さんと山本のコーヒーが全然減っていないことを確認すると、
「ミルクとシロップをお持ちしましょうか」
と、今更ながらのマニュアル。
「あ、じゃあ両方下さい」
多分山本はウエイトレスが忘れていたことさえも気付いていないのだろう。
それを見て雲雀さんはまた深い溜め息を吐き、首を横に振った。
どうやら彼の限界は思いの外近いらしい。
「ねぇ、聞いてるの」
雲雀さんのコーヒーカップを持つ手は僅かに震えていた。
「どうって……まあ、ツナが困るなら俺も困る…のかな」
「かなって、随分適当だね」
「んなことねぇって。これでも俺なりにちゃんと考えた結果だぜ」
「ならどうして……!」
――その時、ガシャン、という金属音が俺達の間に響いた。
その原因は雲雀さんのコーヒーカップではなく、俺の手から滑り落ちた銀色のフォークだ。
右手から落ちたそれは俺が想像していたよりも大きく、山本は驚いた顔をして、雲雀さんは少しだけ我に返ったようだった。
「ご、ごめんね。ちょっと手が滑っちゃって……」
「いや、大丈夫かツナ?」
「うん。俺は別に」
ただ一つ、今の彼が俺の真意に気付いていないのが残念だけど。
泣き出しそうにも見えるその顔は、だけどやっぱり、山本からすれば普段のそれでしかない。
冒頭とは逆で話の続きを求められた雲雀さんは、それ以上山本に何かを話すことはなかった。
そしてシナモンロールが全て俺の腹に収まるまで、再び重苦しい沈黙が続く。


***


『雲雀の奴、今更どうしてあんなこと言ったんスかね』
煙草の味がする苦い口付けの後に、ふと獄寺君が問い掛けた。
昨夜のことだ。
俺達は互いを求めるだけのグズグズのセックスを繰り返しては、その合間を昔したようなたわいない会話で繋ぐ。
それは大人になった証。
現に獄寺君も雲雀さんのことを気にかけているのだから、中学生の頃からすれば確実に前進していると言えよう。
そういう意味ではきっと、雲雀さんも『前進』していた。
『そんなこと俺にだってわからないよ。それに超直感が恋愛に通じないことは君が証明済みだろ』
俺は答えた。冗談混じりに。
獄寺君はその意味がわからないらしく、ぽかんとした表情が薄暗い部屋の中では妙に浮いている。
『ああ…いや、やっぱり気にしないで。多分雲雀さんは辞めない。ていうか俺がさせない』
『そ、そうスよね!あんな奴でも守護者なんだ、勝手に抜けられるわけがねぇ』
『そうだね……』
それは確信だった。
雲雀さんはボンゴレを辞めない。
本当に辞めるとすれば山本自身に止められた時だろうけど、どう考えてその可能性は期待薄だろう。
山本は、仮にも恋人の居る俺が好きだと言う。
そんな愚かな人間を好きになってしまった彼が、簡単にこの恋を諦められるわけがない。


***


「じゃあツナ、またな。雲雀も気をつけて帰れよ」
この後仕事が残っているという山本は、俺がシナモンロールを食べ終わったのを見届けるとすぐに席を立った。
いつの間にか山本のコーヒーカップも空になっていて、その傍らにあるガムシロップと砂糖の入った小瓶は蓋が開いたままだ。
「好きなひとの好みに合わせるなんて、彼もまだまだ子供だね」
不意に、雲雀さんは独り言のように呟いた。
「それとも元々なのかな。……まあ僕も、多分人のことは言えないんだろうけど」
「雲雀さん……」
「謝るのは無しだよ。君に非がないことはわかってるから」
そう言った雲雀さんは、今度こそ本当に泣き出しそうな声色をしていた。
泣きたくても涙が出ないのは、きっと彼の高すぎるプライドが邪魔しているから。
けれどもそれさえも捨てて山本も想う彼は、次の日には何でもない顔をしてアジトに現れるのだろう。
その結末を予測出来ても尚何も言えない俺もまた、或いはただの傲りで、彼の痛みを共有しているのかもしれない。





誰が為に


(最悪なのは、俺が、キミに惹かれてしまった場合だけ)






110414


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