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□拝啓、未来の若奥様。
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「我が心既に空なり。空なるが故に……無!」
「どうでもええけどその台詞えらい恥ずかしいのう」

――その時、真田は思った。
閑古鳥の鳴り響く休日のテニスコートには生暖かい風が吹き、立海大の伝統あるユニフォームの裾をひらひらと靡かせる。
今思えば携帯電話の着信元が公衆電話だった時点で疑ってかかるべきだったのかもしれない。
よく考えれば「おまえと試合がしたい」などと何の前触れもなくあいつが言うはずないし、仮に言ったとしても次に繋がる言葉は「冗談」の二文字だろう。
けれどしたり顔のペテン師を見せられてしまっては全てが遅く、ただただ二時間前の浮かれていた自分と元凶を呪うのだ。――仁王にしてやられた、と。

「まあそう睨みなさんなって」
真田の視線を受けた仁王が徐にカツラを取りながら言う。
「けーど、幸村が知ったらどう思うんじゃろなあ?」
と、その端正な顔に厭らしい笑みを浮かべて。
「……仁王、貴様…っ」
例えばこの場で仁王に、恐れ多くも幸村に成りすましたペテン師に制裁を加えることは簡単だ。
だがそれをしてしまったら確実に幸村本人に事の顛末を話すだろうし、実際にその意をほのめかしているのだからどうしようもない。
知られるわけにはいかないのだ。
いくら仁王の変装が完璧だったから言え、己の最も愛しく思う人間を間違えるいう醜態など絶対に。
そうして真田の中で二つの感情がせめぎ合う。
騙されたことへの怒りと、虚を見抜けなかったことの不甲斐なさ……それを上回る幸村に嫌われたくないという子供じみた感情が。

「殴らんのか?」
歯を食いしばって拳を握り締める真田に仁王がそう訊いたのは長い沈黙の後のことだ。
流石の仁王もその時は真面目な顔をしていたが、それが本性だとは思わない。
更に拳を強く握り、色々なパターンを頭の中で想像し並べてみたが似合わないと思い止めた。
幸村のことは、好きだ。
本当は自分には勿体無いだと思うけど、彼に愛してもらえるなら何を犠牲にしようが構わないとも思う。
「……そうだな」
真田は帽子のツバを下げ、俯き加減に答えた。
「そうか、残念じゃ」
風は相変わらずコートの上を、そして少し濡れた真田の頬をかすめていく。
……これでいい。自分が何故泣いているのか理由はわからないが、結果としては上々なはず。
ただ、一つだけ解せないのは仁王がこんな真似をする理由だ。
まさか自分の台詞に突っ込みを入れたかっただけどは思えない。
「解せない…っちゅう顔しとるの」
そんな真田の思いに気付いたのか、それとも本当に考えていることが顔に出ていたのか、仁王の口振りはいつものペテン師に戻っていた。
「別に、おまえさんと幸村の関係なんか興味ないぜよ。ただ幸村の作戦が面白そうだったから乗ってみただけじゃ」
と、妙に楽しそうに話す仁王。
「それに俺も一度神の子やってみたかったしのう。ま、流石に"山"を凌ぐのはきつかったが」

――その時、真田は思った。
幸村の性格は自分がいちばんよくわかっているつもりだった。
それは恐らく蓮二も言えることだが、一チームメートと好きな相手では力の入れ方が違う。
ダテに三年間その背中を見てきたわけではないということだ。
神の子なんて呼ばれているが、彼は自分達の誰よりも深い絶望を知っている。
が、それを乗り越え、更なる高見へと登った天才は無敵だ。――いや、無敵過ぎたのだ。

真田は脱力し、返す言葉もなく膝を付いた。
「真田?俺が言うのもアレじゃが…大丈夫か?」
「ああ…」
しかし、何よりも驚いたのは真実を聞いて更に、幸村を好きになってしまった自分がいることだ。
きっともうこの想いから逃れることは出来ない。……逃れようと思ったこともないし、その日も来ないだろう。
(この俺を試すとは……幸村、おまえは確かに大物だ)
(……だから余計に愛されたくなるのだ)
真田はフッと自嘲的に笑い、幸村を想うことの大変さを改めて思い知る。
けれど何よりも彼自身に自分を試す気持ちがあると思うと、自然に口角が上がるのだった。





拝啓、未来の若奥様。


(待っていろ幸村!俺は将来絶対におまえを真田家に迎えるのだ!)

(……いや、旦那様の間違いじゃと思うが……)







110302
仁王のイリュージョンは便利(笑)


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