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□都合のいい男
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最も怖いコート上のペテン師、仁王雅治。
今となっては誰が付けたのかわからない異名を持つ少年に思いを馳せながら、柳生は学校ではなくとあるテニスクラブへと足を運んでいた。
今日は月曜日。
部活動はミーティングだけで、もともと仁王とダブルスの練習などする予定はなかったのだ。
というより、そんな日はきっと来ないような気がする。
幸村が愛し、幸村を盲目的に敬愛する真田が憎み、また自分が心を奪われてしまった彼は酷く気まぐれだ。
そしてやっぱり、ペテン師だとも思う。
けれど、それもまた‥‥。
(惚れた弱み‥‥なんて言えたら苦労はしなかった)
溜め息を繰り返しテニスクラブへ向かう。
すると、後方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「おう。比呂士じゃねぇか」
「なんだよ、おまえも赤也んとこ行くのか?」
立海のダブルス1、丸井ブン太とジャッカル桑原だ。
「えぇ‥まあ。やはりうちの二年生エースはやや心配な面がありますからね」
そう言って、柳生はハッとした。
心配――そんなものはただ、仁王や幸村のことを考えたくない為に体が勝手に動いているだけだ。
仁王のことは彼が幸村を想うより、勿論幸村が彼を想うよりも愛しているという自負はある。
でも‥それでも、時々本当に怖くなるのだ。
仁王に好きだなんて言えない。
だからと言って気まぐれな彼は嫌いとも言ってくれない。
‥‥いくら虚勢を張ったところで報われなければ、意味が無い。
「あーでも柳の方が先に行ってっかもな」
嗚呼‥例えば彼らのように、
「確かに。つーかあの赤也を扱えんのは参謀しかいねぇだろぃ」
私だって真っ正面から愛し、愛されたかった。

「ん?どうした柳生?」
不意に足を止めた柳生にジャッカルが声を掛けた。
幸村の病室を後にしてから30分近く経過した今でも夏の太陽が沈む気配はないが、幻想的なオレンジが柳生に逆光を照らしている。
そして完全に表情を見えなくさせた。
「‥‥泣いてんのか?」
と、丸井。
「いえ‥‥けれどどうやら私は、自分が思っていたよりもずっと悲しかったようです」
それは、いつだって冷静沈着な柳生が一瞬だけ見せた涙。
「さあ、早く行きましょう。いくら柳君が甘いからと言って、それだけでは彼も切原君も成長しませんからね」
だが次の瞬間にはいつもの紳士に戻り、三人は再び小憎らしい後輩の下へと足取りを早めるのだった。




「何も変わりはない。いつもふらふらと遊び回っているのは食えんが、奴は万全なコンディションで関東に臨むだろう」
時は遡り幸村の病室。
しばしの沈黙の後、真田はいつもの口調でしっかりと返答した。
ササユリが幸村自らの手によって花瓶に挿されたこと意外に大きな変化はない。
「‥‥そう」
なら良いんだと付け加え、安堵の溜め息を吐く。
幸村はてっきり、自分の居ない間に愛しの彼を柳生に奪われたのだとばかり思っていた。
けれど真田が嘘を吐くとは思えないし、むしろ仁王に対し畏怖さえ抱いているようにも思える。
(あなたは私を騙せない‥‥。ならば柳生、君は‥‥)

「もうこんな時間か」
それから暫く二人で談笑した後、真田が名残惜しそうに腰を上げた。
「今日はありがとう真田。それに柳生のことも‥‥君は知っていたんだろう?」
ササユリの、日本の花にしてはむせるほど濃い香りが充満する部屋の中、最後に幸村は今日初めて彼らしい表情を見せる。
それこそ誰もが畏怖する立海部長の威厳に、彼自身の持つ秀麗さを湛えた笑みだ。
「‥‥それとなくな。だが俺はあいつとは違う。おまえを‥諦めたりはせん」
「ふふ、嬉しいな」
「心にも無いことを」
と、真田が苦虫を噛み潰したように吐き捨てる。
「いいや有るさ。ただ今は、余裕が無いだけなんだ。‥‥わかるだろう?俺だって別に、焦ってないわけじゃあない。それに柳生だって――」
‥‥いや、違う。柳生が本当に言いたいことは他にあるはずだ。
あなたは私を騙せない。
だが実際の彼は、自分と仁王の関係について何も言わなかった。
つまり柳生は既に別の誰かに‥‥仁王に騙されているとでも言うのか――?

「‥‥はは、何だよそれ。そんなに献身的な男、俺は真田しか居ないと思っていた」
そうして神の子の頬を、病床に伏せて以来二度目の涙が伝った。





都合のいい男


(あなたは私を騙せない。何故なら私は、私の最も愛する人に騙されているのだから)

(‥‥されどその想いを、捨てることの出来ない私はきっと仕合せなのだ)







110215

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