過去log

□君が好き
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「好きなんだ」

まだ暑さの残る風が右の頬に当たった時、真田は何か夢でも見ているような気分になった。
今日は、何でもない休日のはずだった。
いつも通り部活に励んでは青春だなんてらしくない言葉を舌の上で転がしてみる。
だけどその澄んだ声は真田の真後ろ、ちょうど部室の入り口辺りから聞こえきて、或いは狐に化かされているようで背筋が冷えた。

「‥‥幸村、か」
やっと口から出てきた台詞はただの苦し紛れだ。
何故なら振り返るまでもなく、彼の声はいつだって全身に染み付いている。

「ふふ、驚いた?」
「おまえのくだらん冗談は予想の範疇だ」
「だろうね。真田ならそう言うと思った」
でも、と幸村は続ける。

彼の気配は、圧倒されるようなオーラはいつの間にか真後ろにあって少しギョッとした。
だがそれも、次の言葉を聞くまでの刹那で。
生温い風、ユニフォーム越しに感じる冷たい手、今なら理由もなく泣ける気がする。

「いつも冗談とは、限らないだろう?」

背中に触れていただけの手が腹部に回り、つまり抱きしめられる形になった真田はとうとう振り返ることが出来なくなった。
彼は今どんな表情をしているのか、などと考える余裕も勿論ない。
何か言わなくてはとは思うけれど、一体何を伝えればいいんだ。
‥‥冗談じゃ、ない。
それはこっちの台詞だった。

「何にも言わないならキスする」

そんな自分の胸中を知ってか知らずが、やっぱり彼の真意はよくわからない。

「‥‥幸村、」
「もう遅いよ」

わからないけど、このまま流されてしまうのも構わないと思っている自分がいるから恐ろしい。
振り向かされたのは本当に一瞬の出来事で、ガタンと背中がロッカーに預けられた。
それと名前を呼んだ唇を塞がれたのはほぼ同時だ。
だから目を閉じたのはただ反射的にそうなっただけ。
開けっ放しの口には熱い舌が、ずっとそうしたかったように這いずり回って、今度こそ本当に夢を見ているようだ。
――今、俺は、幸村にキスをされている。
それだけの行為なのに真田の全身を浮遊感が襲った。

「‥‥!」
だから当然、自分のモノを触られた時には感情を表す言葉さえ見つからない。

「どうして‥何も言わない」
やっと唇を解放した幸村は、だけど右手はいやらしく撫でながら言った。
「‥‥いっ‥、言わせる隙‥なんてなかった、だろ‥っ」
が、それは焦らすように動きを止める。

「俺のこと好き?」
「‥‥嫌いなどと言った覚えはない」
「そうか」
「そうだ」

真田は思う。幸村を嫌いになった記憶なんてないし、むしろ彼を好いていたのは自分の方だったはずだ。
華奢なくせに何故か大きく感じる幸村の背中。
ずっと縋り付きたくて、だけどそれはやってはいけない事のような気がして‥‥副部長、なんてポジションが妙に恨めしい。
だがそれを差し引いても、自分にはあまりにも大き過ぎるのだ。
幸村精市は、神に愛された少年は、酷く神聖だ。
自分が触れていいわけがない。
――なのに、何故、彼は。
好きが重い。重いけど嬉しい。嬉しいけど怖い。怖くて‥‥きっと脳が許容範囲を超えたのだろう。
真田はフッと笑った。

「‥‥何がおかしいんだよ」
当然幸村は良い顔をしなかったけど、そこで初めて彼の表情を見た真田は急に心が軽くなった気がした。

「いや‥何と言うかおまえが、そんな顔をするとは思わなかった」
「そんな顔って」
「耳、赤くなってるぞ」
「‥‥俺だって緊張くらいするよ」
「ああ‥そうだな」

真田はそう言うと、徐に幸村の背中に回した。
なんだ、彼も同じだったのか。
隠しきれない想いなら隠さなければいい。
心音は容姿なく激しさを増すけれど、彼もそうであってくれるなら嬉しい悲鳴だ。
肩口に顔を埋めて、優しい匂いを直に感じて、‥‥俺も好きだ、とやっとの思いで言えば幸村はバッとその体を離した。

「‥‥真田のくせに、なんか狡いよ」

だけどそう言った彼の顔は、さっきよりも更に紅く染まっていた。
そして、そんな彼を笑ってしまった真田が報復を受けるのは決して遠くない未来だ。
どこぞの大魔王よろしく幸村の唇の端が釣り上がっていることに気付いた時、既に真田のモノは再び彼の手中に収められていたのであった。





君が好き


(フ、残念だったな真田!主導権を握るのは俺だ!)
(‥‥序盤のシリアスは何処へ!?)

((――だけどそんな君が、もう大好き!))







‐Fin‐
110107


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