過去log
□あなたが望むなら
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「いいかいサイラッシュ。君はまだ若いから、この先何度も間違いを犯してしまうかもしれない」
その人は私の目をひたと見つめながら言った。
「勿論、間違いを犯すことが全て悪いとは限らない。失敗してそこから学ぶこともある。‥だが、」
私は怖かった。
彼が、酷く悲しげな顔をしていたから。
「――俺達バンパイアにはもう、時間がないんだ」
(‥‥昔の夢、か‥)
ある日の夕暮れ時、サイラッシュはマウンテンの奥深くにある自室で目を覚ました。ここはかつて師であるカーダ・スモルトが使っていた部屋で、彼が初めてマウンテンに来た日に譲り受けたものだ。
その名残で壁には今もカーダの青いマントが何枚か掛かってある。
サイラッシュは開け放たれた棺から上半身を起こすと、額の汗を拭った。
あの頃の‥バンパイアになりたての頃の夢を見るのは久しぶりだった。
「おはようサイラッシュ、目覚めはいかがかな?」
「カーダ様‥!どうされたんですか?こんなに早く‥、」
「いやなに、おまえの顔が見たかっただけさ」
声がした方を見ると、部屋の隅にある木箱の上にカーダが座っていた。
サイラッシュが驚きのあまり呆然としていると、カーダはウインクをして彼の手の甲にキスをした。
この人のやることはいちいち心臓に悪い。(勿論、良い意味でだけど)サイラッシュは思ったが、師匠が冗談っぽく笑うのを見て釣られて笑みを零した。
「‥っていうのは半分冗談だけどな。実はコレを見せに来たんだ」
カーダはそう言うと一枚の紙を広げて見せた。
「それは‥」
「グラルダーがやっと承諾してくれた。もう俺達が滅びることはない」
「あぁ、カーダ様‥!」
「サイラッシュ。おまえのおかげだよ」
サイラッシュがカーダの腕に飛び込むと、カーダはしっかりと彼を抱きしめた。
暖かい体温が、寝起きで下着しか身に付けていないサイラッシュの肌に直に伝わってくる。
勿論それはカーダも同じことで、今度はサイラッシュの柔らかい唇にダイレクトに口付けをした。
「カーダ様‥‥」
カーダ様。私のカーダ様。
暫くしてやっと唇が離れた後、それでもサイラッシュはカーダの服にしがみついた。私はあなたの悲しい顔を見るのが嫌で、今日まで頑張って参りました。あなたの為に全てを捧げてきました。
(‥‥あぁ、それなのに)
サイラッシュの瞳に涙が溜まる。
彼はただ、カーダを愛しているからこそ心配でたまらなかった。‥‥バンパイア一族が滅びるのは、嫌だ。
けれど今目の前に映る彼がどうしようもなく儚く消えてしまいそうだったから、抱きしめられた体を離したくなかったのだ。(本当に、これで良かったんですか?)
「‥サイラッシュ?」
カーダはそんなサイラッシュの瞳を覗き込む。
迷いはない‥と言えば嘘になるのだろう。
彼も弟子の小さな疑心に気付きながら、それでもやはり一族を救いたかった。それだけの話なのだ。
「‥‥いいえ何でもないのです。私は、ただ‥」
サイラッシュはそこで言葉を区切ると、両の手に付いた小さな傷たちを見つめた。‥‥後悔など人間だった頃にとうにしてきたではないか。
今はまだ、振り返ってはいけない。ただ、愛する師を信じて進めばよいのだ――
「‥‥ただ、愛してるだけですよ」
サイラッシュが笑うと、カーダは満足そうに再び唇を重ねた。
あなたが望むなら
(――私は喜んで、ユダとなりましょう)
‐Fin‐
100827