□救済策
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一瞬、空気が凍った。
ペンの音も紙の音も消え、無音が部屋に広がる。

はっ、として部屋を見ればソファに弟が寝転がっていた。
そういえばずっとここにいたのだ。

それにしても今のは一体何なのか?
あまりに突然過ぎて理解できない。


『死にたい』、とは―。





死にたい?
誰が?

どうして?



弟が?

死にたい?



疲れてしまったから?
何に?


人柱力で、あることに――?





ぶわ、と寒気がした。
冷や汗が止まらない。
ペンを持つ手が無様に震えている。

弟を見る事ができない。


死にたい、と、確かに言った。


そうしたいと望むだけの環境にいたことは確かだ。しかしなぜ今なのか。そこがわからない。
何かが弟の中で決壊してしまったのだろうか。

しばらくして漸く弟の方を見る事ができた。


その顔は能面のように微動だにしない。
生きているのかすらわからない。生を感じさせない空気があった。


「あ…」


先に口を開いたのは弟の方だった。
あの顔はすぐに引っ込み、口を開けて何やら驚いているようだった。


「ごめん。今の無し」
「…そ、」


それはどういうことだ。
口に出したかったが、有無を言わさぬ弟の言葉に口ごもってしまった。

どうやら本人に言った自覚はあるらしい。
震えのおさまった手は、それでも動かすことはできなかった。


「…ん?…んー。なぁブラザー」
「…」
「オレ今死にたいって言ったよな」
「ああ」
「…うん。やっぱり、有りだ」


壊れてしまったと思ったのはあながち間違いでもなかったらしい。

この子供はせき止めていた思いをぶちまけただけに過ぎない。

しかしその変化はあまりにも大きく、弟自身にも理解できていない。


「…うわ、ちょっと待って、えっ?」
「…どうした」
「いや、どうしたじゃなくて」
「…?」
「どうしてブラザーが泣いてるんだよ」


落ちる滴は書類を汚し、文字を滲ませていた。
それを拭かなければ、と思っても目はビーを射ぬくように見つめていた。

逸らしてはいけない。
見なければならない。

弟が抱えている黒く深い闇を。
そうさせてしまった自分の愚かさを。


「なぁ、ブラザー、泣かないでくれよ。どうしたんだよ。泣くなよ」
「…お前は…」
「ごめんなさい。オレが変なこと言っちまったからだろ?ごめん。もう二度と言わないから」
「おまえは」
「ブラザー、泣かないでくれ。オレが死にたいなんて言ったから傷ついたんだよな。オレが望んだから」
「おまえは、ばかだ」
「ごめんなさい」
「おまえは、おまえは…」
「ごめ…っなさい…っ、オレが、オレがっ…」


椅子から立ち上がり、ビーにゆっくりと近づく。
目からあふれ出る涙は止まらず、ビーも嗚咽のような声を絞り出す。
だが、ビーの目からは涙が出ない。

きっと泣けないのだろう。
可哀そうな弟を抱きしめた。


「オレが生きてるから…っ」
「ビー」
「オレが生きてるからブラザーは泣くんだっ」
「ビー」
「もう、もう、しにたい…っ」
「しぬなら、オレを殺してからにしろ。頼む。そうしてくれなきゃオレは生きていけない。頼む。頼むビー。オレを殺してくれ。できないなら、生きてくれ」


こいつはきっとオレを殺せないだろう。
我ながら残酷だと思った。
だけどもいつか、ビーが心から死にたいと願った時。その時はオレを殺すだろう。

それだ。
そこでオレは救われる。
ビーに殺されてこそオレは救われる。


「殺してくれ」
「死にたい」


愚かだった。
もう、死しか道がないほどに。


オレ達は愚かだった。

















『ブラザー、死にたい』


お前のその声が、遠くどこかで鳴り響いている。

あの日をオレは死ぬまで忘れないだろう。






お前の泣き叫ぶ声が聞こえている。
頭の中、響くそれを、オレは無心で聞いている。







「ブラザー!組手しようぜ!」
「ああ、いいぞ」


救いとは言えぬそれをどうにか希望にして生きている。



お前がオレを殺すその日まで。









end

 
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