花鳥風月

□はるのあらし
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あなたは


世界をどんな風に感じるのだろう



陽光は温かいだろうか


月は冴えているだろうか


緑は馨り

花は色づき

鳥は歌っているだろうか



その眸に

わたしは映るだろうか


――――――


王が退出した後の外殿はきっと紛糾したであろうと、知らず知らず溜息が洩れる


当の本人は“すっきりした”と言わんばかりの顔で内殿への回廊を渡っている


それを見やって、景麒は更に、深く溜息をついた


『伏礼を廃す』


外殿に鐘のように響き渡った声は、官を打ちのめしていた
確かに常識がない
というか
規格外の発想だった


全く何だってそんなことを思い付けるのか

しかも
王に叩頭する生き物が、すぐ傍にいるというのに


景麒はもう一度、溜息をつく。そしてふと、口元が笑みを形作っている自分に気づいた


「景麒、いつまで溜息をついているつもりだ」

慌てて口元を隠すと緋色の主が立ち止まって、呆れた顔を向けてくる

「やっぱり勅命で溜め息も禁じようか」

「それだけはお止めください」

ここまで来たらやりかねない、という勢いで非を唱えられ、陽子も憮然とする

「確かに初勅に関しては相談しなかったから驚いただろうけど」

「驚く、という状態で済めば良かったのですが…」

「お前は…本当に嫌みな奴だな」

「まだ外殿では諸官が揉めておりましょう」

「だから、それでいいんだ」

回廊には寒さが和らいだ陽光が射し込んでいる
穹は晴れ、所々に浮かぶ雲が霞のように薄い
空気に溶けたように、花の匂いが何処からかともなく漂う
世界が春を歌っているかのようだ

「私はね景麒。たぶん、正解を出したかったんだ」

回廊の手摺から乗り出すように躯を預けて呟く


「決して失敗できない。私の決めることに、私以外の誰かの命が掛かっているから…」

新緑を思わせる眸が、空の一点を見つめている
何かを求めているように

「国を導くなんて大それた事を考えて、迷ってたけど…私はたった独りで王様をするんじゃないんだって…だから、皆に考えて欲しい…」

目に鮮やかな緋色を翻して景麒を振り返ると、真っ直ぐ見つめて徐に頭を下げた


「すまなかった。それと、ありがとう」

「主上―」

慌てて頭を上げるように屈むが、それからどうしたら良いかわからない
おろおろと行き場のない掌が上がったり下がったり
軈て上がった主の眸は変わらず真っ直ぐで、吸い寄せられる

「これからどうしていったらいいかは、実は今でもわからない。けれども、どんな途を選んでもそれは正解ではない。いつでも過ちを孕んでいる。だからその中でも最善を尽くそうと思う」

二人の間にあったのは三歩分の距離
主はゆっくりと二歩進んで立ち止まる

「途を選ぶっていうことは、決して、いつもなだらかで平坦で…景色の綺麗な途を選ぶってことじゃない。険しい所を登っても、振り返ればそれが途だ。それが―わかった」

官服を着ていても、確かに彼女は王だった

「それから…固継の宿で、お前に“私を信じろ”と言った。私自身が私を疑っているからと。だが、私もお前を信じなきゃいけなかった。随分勝手なことを言ったと思って…」

あの時は、勘気を含んだ主の視線を受け止められなかった事を思い出す

「すまない」

この誠実な主が、伏礼を厭うのがわかるような気がした
真っ直ぐ過ぎる視線が、生真面目に下げられる頭が、彼女のひととなりを伝える



何かが胸に、ことん、と落ちた



伏礼を廃することが、官に、民に彼女を伝え、理解を得られればいいと


今、漸く思った


次の瞬間、園林の木々を掻き分けて、一陣の風が吹き抜ける

「――っ」

主の小さな呻きが聞こえた

咄嗟に躯を入れ換えて主を庇う

袍を掴まれる感触と、己の腕に温もりが収まるのはほぼ同時であった

そうして気づく

主にこうして触れるのは、実は初めてではないかと



「―吃驚した。嵐みたいだったな」

通りすぎた筈の風が、胸に吹き荒れている


音をたてて落ちてきたものが、煽られ、乱されていく

何か大切なものを攫われたかのような


「どうした。景麒」


見上げてくる緑の眸に、強く惹き付けられる

自分が自分でないような浮遊感と

平静をかき乱されるかのような高揚感が景麒自身を苛む

その眸に映る自分の姿を見とめたとき、熱が、躯の奥から上ってきた


「…景麒…その…近いんだけど」

主の一言で、まだ腕の中に抱えていた事に気付き、大仰に後ずさる

「失礼いたしました」

「いや。庇ってくれてありがとう」

鮮やかに微笑んで、主は躯を翻す

その後ろ姿に、登極直後には見られなかった覇気を見た

この主が導く慶を見たいと願う

そして、この主が見ている世界を見てみたいと思う





今しがた吹きつけた風は通りすぎたが
春の嵐はまだ始まったばかり

これから幾度季節が廻ろうとも


今この春こそが始まりなのだと

感じずにはいられなかった

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