花鳥風月

□こうしんのじょう
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その瞬間


またか


と、思った



また自分が



王を孤独にしていくのだ




―――――――


『いつか来るその時に。…お前は直ぐ、次の王の選定に入ってほしい』



驚愕はゆるゆるとやって来た


『…どういう、意味でしょう』


陽子の肩を掴む掌に、知らず力が籠る
やっとのことで絞り出した声は、やはり掠れていた


『言葉通りだ』


翡翠の双眸は、底の見えない海のように深い色を湛えている


『勿論、斃れるつもりはないよ。けど……斃れようと思って斃れる王は、いないだろう』


景麒の躯が震える
躯の中心から熱が引いていくのがわかる
陽子は動けずにいる景麒を、包み込むようにそっと
頬から耳へ、そして鬣を鋤くようになぜた




『だが、斃れるならそれが天命なんだろう。だから』




しかたないんだ




という言葉は




夜の空気に流れることなく、辛うじて陽子の中に留まった




景麒が落とした
冷たい唇によって






――――――――


「お休みにならないのですか」


入室を求める声に諾と応じると、失礼しますと浩瀚が入ってきた


「休んでいるよ。今はぼんやりとしてただけ」


陽子は瑠璃の窓に寄りかかりながら浩瀚を一瞥し、またすぐに視線を窓の外へ戻した


「御身を大事に、と申し上げたつもりですが。ご理解いただけませんか」


浩瀚はしずしずと陽子の側に進み、膝を付く


「今回の件、対応を遅らせたのは私の浅慮でございます。罰するならば私を」


真っ直ぐに主を見据える浩瀚に、しかし陽子の視線は交わらない


「貴女の責ではないのです。御自分を責めるのはおやめください」


ぴくりと
陽子の肩が僅かに震えた

それを見て立ち上がり、主の正面に回る
そして息をのんだ



重圧に耐える苦悶の表情かと、予想していたのに



王の表情は穏やかだった



悲しみも痛みも、もしかしたら喜びすらも。何処かへ置いてきてしまったかのような


穏やかな顔



「…浩瀚はさ、庚申待ちって知ってる」


二の句が紡げない浩澣に、陽子がゆっくりと呟く

暫しの考察の後、浩瀚が否と答えると陽子はほっとしたように息をついた


「今回のことだけではないんだ」



窓から入る月光が、緋いはずの髪を冴え冴えと映し出す
何かを覚悟している王が、美しく微笑んだ


「浩瀚。私は穢れた、咎人なんだよ」




―――――――



景麒は主の言葉を反芻する

言葉は渦となって景麒を飲み込み思考を鈍らせ、さらに深みへと引きずられていく




まだ血の障りのなかにあるからと言えなくもないが


主の言を、否定しなければと闇の中から警鐘が鳴り響く

だが何か、抗えない感覚があるのだ



王の言葉に逆らえない

絶対的な感覚







これが麒麟




何故思う通りに躯は動かぬ

何故思ったことが言の葉にのらぬ


何故





天意が、ただ通り抜けていく
民意の具現である麒麟




ならばいっそ




ただの器でありたかった




意志のない、ただの器であったなら




主のこんな傷ついた顔を、見なくてよかったのではないか


あの去っていく後ろ姿を、見なくてよかったのではないか




苦しい




それ以上




主に言わせてはいけない




けれど言葉が出ない




また自分が、主をひとりにしてしまうのに




葛藤の中で無意識に
躯が動いた






例え

気づかぬように、見ないように蓋していたものを暴こうと




『そして私も、あの方を失いたくない』




真実、浩瀚の言う通りだ




この人無しではいけないというのに、二人の主は居なくなるときは置いていくのだと言う



緋色の主は拒絶するでもなく
ねめつけるでもなく
眸を見開いたまま



ただ全てを受け入れるように己の鬣をなぜて。そこから先は、沈黙が主の総てを語っていた




そう、沈黙が





「……貴女は………何も……」





もし、仁の獣である麒麟が涙を流すとしたら、それは


民のため

国のため

王のため




果たして、この美しい獣が湛える雫は

一体誰のためのものだろう



しかし、その眸が潤いを湛えていることを、恐らくは自分でもわかっていないのだ



景麒は思考を霧散させるかのように立ち上がり、堂の奥へと姿を隠す





「………主上は……私には何も言わないと……決めてしまった…」



瑠璃の窓が開き、するりと衣音がする


月色に輝く麒麟が、闇色の穹を駆け、悲しく嘶いた気がした
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