花鳥風月

□こうしんのじょう
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自分が麒麟であることに

疑問はなかった



貴女のその

後ろ姿を見るまでは


――――――


家族と離れるのは

辛い



慣れぬ生活をするのは

辛い



意に沿わぬ仕事をするのは

辛い




全てを失っても手に入るのは

麒麟だけ



そこから始めなければならない



王になるとは、そういうことだった



王ならば豪奢な生活や権が思いのままというのは、この世界では有り得ない
そんなことをすれば、国はすぐに滅ぶ


しかし
唯一手に入る麒麟が、自分の半身と遣わされた麒麟が


もしも自分を見ていなかったら



その王はどうしたらいいんだろう




景麒は泰麒と会って、漸くその思いに至った
だが、本当に理解して行動することは、できなかった


予王の最後の後ろ姿が、脳裏から離れることはない



麒麟に恋着した女王と蔑まれたが、今なら少しだけ、彼女の気持ちがわかる気がするのだ


去っていく彼女を
世界から隔離してしまった彼女を


繋ぎ留める理由は、景麒だけだったのだから








瞼を開いた景麒は、自分が今いる場所が仁重殿の自室であることを理解するのに、少し時間がかかった


夢を見た気がする


躯を起こせずにぼんやりしていると、光が近づいてくることがわかった

いつも女官が起こしに来る前に目覚めている景麒だが、なんだか躯を起こすことが酷く億劫で、再び瞼を閉じる
女官が来るより先に主が来ることも珍しく、何かあったのかと急く気持ちとは裏腹に、躯が重かった



衣擦れの音から、主一人ではないことが窺えた

「…ケイキ」


主の呼ぶ声に反応ができない
一体自分はどうしてしまったのだ


「遠甫、浩瀚。ケイキは…」

「ご案じめされるな。台輔は血の穢れにあたったまで。間もなく回復されましょう」

遠甫の穏やかな口調に、明らかにほっとした様子の主


景麒の心がつくんと痛んだ



そう、思い出した



最近、官府や州城を狙った強奪や人拐いが起こった

金品や食料はともかくも、拐われたのが女ばかりとわかり、まだ女が少ない慶での人身売買ではないかと囁かれた


確たる証拠もない為内偵を放ったのだが、主上に知れた


陽子は怒りを顕に剣を取ったのだ


だが、その怒りは現状を訃げなかった景麒や浩瀚ではなく、賊に向けられたものだった


陽子は自ら囮となるために髪を藍に染め、装束を変えて官府へ赴いた



そして




賊に刺されたのだ





決して油断していたわけではない

冗祐も班渠も付いていた

だが人数的に不利だった

その中で人質を庇おうとして




州師と景麒が着いた頃、賊はあらかた片がついていたが、陽子からは夥しい鮮血が溢れていた


―景麒は直ぐ様転変し―



主を宮城に運んだところで気をやった







瞼を開けられないまま、声を頼りに主の無事を知り、躯の奥が温かくなるがわかった


「…すまない…ケイキ」


そっと手の甲を景麒の頬に添える。陽子の掌ほうが冷たかった


「主上。台輔もお休みになっております所以、主上もお休みください。あれだけ血を流されたのです。まだ本懐ではないのですよ」


「わかっている。…けど」


「主上…」


遠甫に引かれるように堂室を出る主を見送り、浩瀚は景麒の傍らに腰掛けた


「台輔、そのままでお聞きください」


浩瀚にとっては、台輔が目覚めていてもいなくても、どちらでもよかった

だが微かに頷く気配を感じて、台輔が主を深く気にかけていることがわかる


「まずはお礼申し上げる。今度ばかりは肝を潰しました」


浩瀚は血に濡れた主を抱えて現れた麒麟を思い出す


陽子は髪までも、染めた藍でもなく、自身の鮮やかな緋色でもなく、赤黒い血に染まっていた

そんな状態でも、己も女怪に支えられながら、しかし決して陽子を離そうとしなかった麒麟


「主上のお怪我は、ご存じの通り浅くありません。双碧珠により通常より治りは早いかもしれませんが、本当なら今も安静が必要な御躯」


重たい意識の中で、そうだろうと景麒は思った
あんなに血を流し、掌が冷たかったのだから


「それでもあの方は政をとろうとされる。私も気をつけておきますが台輔にも…」


やはり微かに頷く気配


「出すぎたこととは思いますが、慶は、あの方を失ってはいけない」


かたんと浩瀚が立つ音がする


「そして私も、あの方を失いたくない」


静かに降ってきた言葉に、景麒は思わず瞼を開いた


だが冢宰の姿は既になく、主の血の残り香が、微かに漂うだけだった
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