花鳥風月

□かんくのあめ
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主上は時たま


自分には考えられないような事をする




例えば




春に花が散るを惜しんで涙したり


夏に修行と称して滝で水浴びをしたり


秋に落葉を集めて芋を焼いてみたり


冬は――




――――


慶東国と言えど冬は寒い


勿論、寒いといっても載や芳、柳の様に雪は降らない


しかし、雪が降らないから暖かいかというと全くそんなことはなく。北部へ行けば行くほど深々とし、家が貧しければ貧しいほど、寒さへの備えも二の次だ




そしてそれは、雲海の上とて同じこと




確かに下界のそれよりは優しいものだし、備えもあるが、寒い日は寒い




そんな日に




陽子はよく、単衫で外にいる





初めの頃は、見つければ誰もが、直ぐに中へ連れ戻した


「一体何をお考えか」

褞袍をかけ、景麒が恒にはない厳しい口調で咎めれば、主は眸を丸くする


「大丈夫だ。仙はめったに病にかからないんだろう」

「そういう問題ではありません」


なら、どういう問題だと言外に問いかけてくる主に、景麒は深い深いため息を付く


「皆が心配します」


とくとくと景麒を見つめた後、陽子はついと視線を反らし、そうかと呟いた







その後も

寒さを覚える頃になると

陽子は度々、薄着で外に出た




その内に、女御や女史は、彼女に考え有っての事と遠巻きに見守り、無闇に連れ戻さなくなった



それでも、景麒としては不安だった
単衫で外に出る主が見ているものが、あまりにも遠いような気がして、不安だった

皆が心配する、というのは真実だが、実は詭弁で

本当は誰よりも一番、自分が安心したかったのだ





その事に気がついてからは


出奔する主に、付き添うようになった



相も変わらぬ、小言と共に




「なんだケイキ。お前もきたのか」


陽子は眉をしかめて訊く


「寒いだろう。中に入れ。私は大丈夫でもケイキは風邪をひきそうだ」


「私とて仙。そうそう病にはかかりません」


「なんだ、やけに頑固だな」


「私の主が頑固ゆえ、似てきたのでしょう」


思いがけず、声をたてて笑う主


「違いない」


怯みそうになるのを堪え顔を叛けるが、愉快そうな陽子の笑い声が気になる



一頻り笑うと、途端に静寂が襲いかかってきた
潮騒や風の音がしているはずなのに、やけに静かだ



「ほら、やっぱり冷えきってるじゃないか。ケイキは戻れ」


陽子が景麒の手に己の手を重ねると心配そうな眸を向けてくる


「……主上は、他人の心配ばかりで、他人からの心配は受け取らない」


景麒の顔に苦さが拡がっていくのが陽子にもわかった




「……すまない」



ぽつりと洩らした謝罪に、胸が締め付けられる気がした

主はまた

自分に何も言わないのだと









―――と、突然




天から雫がぽたりと落ち、景麒の肩を濡らした



二粒


三粒


見る間に数えられなくなる


「主上、路亭へ」


主を促すが、陽子は天を仰いだまま、微動だにしない




「…雨だ」


「主上」


あっという間に陽子の単衫も、景麒の袍も。水を含んで重くなる


そして唐突に


陽子は駆け出した



雨を切って


雲海の岸まで


「ケイキ。雨だ」


何が愉しいのか、愉快そうにけたけた笑う


「主上」


理由もわからないまま、陽子を追いかける
追いついて岸に並ぶと、雲海の下を覗きこみながら陽子は言った


「寒九の雨だよ、ケイキ」


主の言葉に、漸く合点がいく


寒に入ってから九日目に降る雨は、豊穣の験


雲海を見透かすような、祈るような陽子の眼差しに、景麒はじわりと何かが広がる感覚を覚える


「……王は恵まれてるだろう」


唐突に話し始める主にどきりとしながら、先を促す


「…忘れてしまうんじゃないかと…不安になるときがあるんだ」


雨で緋色の髪が、寒さの為か青ざめたような白い頬に張りついている


指先で払うと、やはり冷たい



「慶は昔よりは豊かになったかもしれないけど、まだまだ冬を越すのが厳しい人達がいる。他国の荒民達だってそうだ。ずっと雲海の上にいると、そういう人達の気持ちが、解らなくなるんじゃないかと不安で…」



景麒に笑って見せる陽子は、憂いを持ちながらも眸に宿った光は強かった



「だから、そんなに心配しなくていい。ただの…儀式みたいなもんだからさ」



その強い光に、どうしようもなく惹かれる


「…心配します」


「ケイキ」


「貴女を信じているから、貴女の事を心配します」


何時もは能面に喩えられる景麒の表情が、今は柔らかいように見える


「主上に否と言われても、そこは曲げられませんので」


一拍間を置いて笑い出した陽子は心底愉しそうだった


「頑固だな」


「私の主が頑固ゆえ、似てきたのでしょう」


更に深く笑って、違いないと言った



躯を伝う雫が冷たくとも
風が吹き荒ぶとも

一年の豊穣を約束された雨に感謝しながら、お互いの胸の内が温かいことがわかった

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