生きてる証

□小学校低学年
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ウチの小学校はというと


昔城があったんだったかな


物凄い急な坂を登りきった所に
建っています


そして一番の自慢は


日本一の大けやき


観光客が訪れるくらい
地元では有名で


クラス全員で木の周りを
囲っても足りない

みたいな企画でTV番組に
出たこともあった


確か千年くらい前から
そこに聳え立っていて

昔雷が落ちてできたと言われている洞窟みたいなでっかい穴が
地面から吹き抜けのように空に向かって空いていた


その穴が大きな口を開けている
ように見えた


低学年くらいまではまだ
冊の中に入って大けやきの穴に
はいったり
その周りで走り回ったりできた


でも寿命を延ばすためにか
いつの頃からかその冊より中に
入ることができなくなったのを
寂しく思ったことを覚えている


そしてこの大けやきは季節毎に
顔を変えた


春から夏は青々と
緑の葉っぱが成った
秋になるとオレンジに変わり
少しづつ散っていく
沢山の葉っぱが空を舞っていた
そして冬にはただの
枯れ木のように
寒い冬に耐えていた


毎年
年に2回くらい
美術かなんかの時間に
この大けやきの絵を書かされた

秋になるとうちらはいつも
赤白帽で降ってくる枯葉を
キャッチするという遊びに
夢中になった

3枚取れたら願いが叶う
的な迷信があったんだ
そんなことを信じていたのかは
忘れたけど
みんな赤白帽を両手に
元気に外で遊んだ





うちの小学校はその頃
県内1のマンモス校と言われ
1学年5から6クラス
1クラス40人くらい
全校生徒は千人以上だった


今は何年か前に新しい学校が出来て2つに別れてしまったけど


通学は通学班というのがあり
地区ごとに近い家の子どうしで
1年生から6年生までだいたい
5、6人くらいの班で
毎朝通学するのが決まりだった


6年生のお兄ちゃんお姉ちゃんが
一人班長としていて
小さなうちらを1列に並べて
危なくないように
学校まで連れて行く

どの班もみんな綺麗に1列に並んで学校へと同じ方向にぞろぞろと歩いていた


今考えるとちょっと気持ち悪い光景のように思えてくる


ウチの家は学校まで
遠い方だった
やく2km弱くらいあったと思う


小さいウチにはとても
遠く感じていた


その頃のウチは
本当に大人しくて
引っ込み思案で
兄ちゃんの後ろを着いて行くような子だった


クラスでも発言なんて
出来るはずもなく
挙手はほとんどできなかった
挙手をして人前で何かを口にするということはウチにとっては
とてつもなく勇気のいる
ことだったのだ



そんな1年生か2年生のある日
朝いつものように1列に並んで通学している途中
事件は起こった


スーパーかなんかの駐車場を
通った時だった
店の旗を立てるための
真ん中に穴の空いたコンクリートでできた台形の物体を
またいだのだ

小さいウチには
それをキレイにまたぐことが
できなかったらしく
右足の膝下のスネの内側らへんをさっくりとその台形の角で切ってしまったのだ


みるみる血が出て
多分ハーパンだったウチの膝下は血が垂れ流し状態

あんまり覚えてないけど
そのままそこから1kmくらいを
歩き続けた

そして覚えているのは
そのままの状態で学校の教室の自分の机に座っていたこと


今考えると班長さんや兄ちゃん
その周りのみなさんは気付かなかったのでしょうかね

子供というのは怖いものです


ウチは確か教室に着いても黙っていたんだと思う

でも多分先生が気づいてくれたのかその後保健室に行ったことは覚えている気がするよ


今でもその傷跡は
消えることなく
5cmくらいの大きな跡がはっきりと残っている

きっと縫わなきゃいけないくらいの傷だったに違いない


そーとー血が出たはずだし
そーとー痛かったはず


いくら大人しいといっても

我慢強いと言ったら
良い響きかもだけど



バカだよね



でもその頃のウチは
こんな事さえも人に言えないような子供だったんだ

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