偏愛フリークス

□蝉時雨(完結)
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親父が倒れた。
母さんからそう聞いたのは昨日の夜の事。
八月半ば。丁度、盆休みの時期と
被ったのは幸いだったかもしれない。
合わせて一週間ぐらいの休暇を得られた。
理由は、様々あって
あまり気は乗らなかったが
『身内の一大事』と言う題目を前に
帰らない理由を見つけられなかった。
『親父の為』そう自分に言い聞かせて
重たい腰を上げて、駅に向かった。
何年ぶりの帰郷だろうか。
朝だってのに、真夏の生ぬるい風は
余計に気分を削いでくれる。
売店で買ったサンドイッチを朝食に。
二時間弱の道程に揺られて。
見飽きた景色をぼんやりと眺めていた。
道中。気分が晴れる事は無い。
親父が心配なのは当然なのだが、それ以上に
『気の滅入るような理由』があったから。
荷物は最低限、着替えのみ。
そんなに長居するつもりもなかった。
実家に顔を出して、親父の様子を確認したら
翌日には帰ろうと思ったし。
長い休暇は。出来るだけ一人で過ごしたい。
仕事の疲れと。何やらかんやら。
やっぱり理由は様々だが。



(・・・変な匂い)



到着して、最初に見たものは
見慣れない看板と小洒落たカフェ。
長らく帰ってなかった故郷の駅は
改築されて真新しくなっていた。
真っ白な壁と柱が目に痛い。
漂って来るコーヒーの香りと
よく判らない人工的な匂いが
鼻を突いて、うんざりする。
駅前通りは。相変わらずのシャッター街。
潰れた自転車屋には
今も色褪せた貼り紙がしてある。
俺が。この町を出る少し前に閉店して。
それっきり。時間が止まってるんだろう。
駅だけ。綺麗にしたって。
これじゃあ、何の意味も・・・。





『───兄さん。久しぶり』



『・・・ああ』



『驚いた? 駅。変わったんだよ。少し前に』



『そう、か』



視界に。そっと佇んでいた『ソイツ』は。
低い階段をゆっくりと登って来る。
顔を見ると、逃げ出したくなるのは
膨らみすぎた苦手意識の賜物。
ただ。ひたすらに避けて来た。
俺が実家に帰省したくない
最大の理由は『弟』
色んな不都合がある中で
それが、大半を占めている。
じっと。真っ直ぐに。俺を見るから。
目をそらすのが、癖になった。
そっと差し出された手は取らずに
歩き出すと、無理矢理。腕を掴まれた。
ギリギリと、力任せに。



『車。こっちに停めてあるから』



『・・・』



『行こう』



『・・・、痛いんだけど』



『ああ。ごめん』



口では、そう言っても
それが緩められる事は無い。
優しい物腰とは裏腹に。強い拘束。
昔からそうだ。絡みつくような
重たい視線と。執着を寄越す。
いつも気まずさと。息苦しさで。
圧迫されてしまう。
だから。だから、嫌なんだ。
案内された駐車場は、昔と何ら変わらずで
柵は曲がったまま。縁石も崩れてた。
幾ら。上っ面を綺麗にしたって。
根本的な部分で。これじゃ。
意味なんか無いと思うんだけどな。
見慣れない車の助手席。
『買い換えたんだ』と呟いた弟に
『そうか』と一言。
キーにぶら下がるクマのマスコットと
フロントのぬいぐるみに
なんとなく安心したのは
『女』の気配を感じたから。



『彼女───』



『ん?』



『出来たのか?』



『この前。別れた』



『・・・、この、ぬいぐるみは?』



『貰ったやつ。物に罪はないし。捨てるの、勿体ないだろ? 最近、付き合うのも面倒臭くてさ。これ乗せとくと、女の子。寄って来ないんだよ。勝手に「何か」察して』




最低だと。思ったけれど口にしなかった。
以降、会話は途切れた。
時折感じる視線を無視して窓の外を眺める。
市街地を離れて。山道を少し行くと
実家が見えて来る。
次第に息苦しさは。膨れ上がる。
帰りたくない理由が
沢山。沢山。有りすぎたから。




『兄さんは』



『・・・』



『いい人。見つかったの?』



『・・・。ああ』



『そう』



何て答えても。許されないのを
知っていたから、些細な嘘をついた。
コイツを前にすれば。いつだって
俺の全部が、壊されてしまう。
だから大事な物は。作らないようにした。
奪われる事に。耐えられないから。
じっとりとした嫌な視線は。
今も俺だけを、捕らえてる。
寒気がする程。しつこく絡みついて
相変わらず俺を。壊そうとしてる。
離れていた時間や距離は。
何の意味も持たないと思い知らされた。
家に着いて、車を降りようとしたら
肩を掴まれて、身が竦んだ。
振り向けもせずに
『どうした?』と平然を装うが
心臓は、素直なもので
焦りと。恐怖と。色んなものが。
溢れ出しそうになる。
『こっち。向いて』そう耳元で囁いた声が
余計な記憶を、次々と呼び覚ます。





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