ロジパラEXT

□魔王様の葛藤
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[愛に誘う夜は辟易]




彼が。不機嫌になる理由は幾つもある。
暑いから、寒いから、退屈だから
他人には知り得ないような事で
ふて腐れている時がある。
だが、大抵。部屋で暴れてる時は
夢見が悪かった時だ。





『──うるせぇっつってんだろ』





怒鳴り声と一緒にバリンッと
硝子の割れる音がして
慌ててドアを開ける。
其処には粉々になった姿見を踏みにじり
その破片で切ったのか、顔からダラダラと
赤い血を滴らせたイノセントが
立ち尽くしていた。




『な、何してるんですか!? どうしたの、イノセさん?!』



『どうもしねぇ』




頬から流れ出るそれを指で拭って舐めとると
彼は、不機嫌極まりない様子で
けれど何事も無かったかのように
足元に散らばる硝子の破片を無視して
黒い椅子に深く座り込んだ。
眉間に皺を寄せて目を瞑り
胸の位置で手を組んで
『何の用だ』と一言だけ彼女に与える。
その態度に、言葉に、滲み出る
『話しかけるなオーラ』が
尋常ではなかったが
果敢な彼女にとって
それはまあ。慣れた光景だった。
ただ、少し。いつもより
二割三割増しほど
彼の機嫌が悪いだけで。





『鏡、割っちゃ駄目ですよ。危ないから』



『何の用だって。聞いてんだ』



『うーん。特に用があった訳じゃないんですけど。顔を見に来たって言うか』




『・・・うぜぇ』



『───って言うと思った』




『・・・、』




険悪なイノセントとは裏腹に
彼女はいつもと変わらない様子で
彼の部屋に置かれた珍しい小物を
手に取って眺めている。
以前、それで一度怒鳴られた事もあったが
それは彼の核心たるものに
触れてしまったからであって
それ以降、彼はその『核心』を
彼女に見えるような場所に置かなくなった。
そもそも。最初からそんな風に
人目に見えるように
置いたつもりもなかったが
何故か彼女は、彼の唯一無二を
見つけてしまうのだから仕方ない。
彼としても、その奇跡的な可能性には
未だに少し疑問を抱いてる。







『顔見に来たなら。もう、目的は果た───』




『痛くないですか?これ』




すぐ側で声がしたかと思うと
目を開けた時にはフリージアが
此方を覗き込んでいて
イノセントの深く切れた頬に
手を伸ばしていた。
傷口に添えられた細い指先に
構わず滴る血液は
彼女の白い手を赤く染める。




『触んじゃねぇよ』



『痛そうだなって』



聞き分ける様子もない彼女は
心配そうに眉をしかめている。
目が合っても、そらすことなく
黙って此方を見ている。
その大きな眼に見つめられると
自分の中身を暴かれるような
不思議な感覚に陥ってしまう。
彼は、いよいよ苛立って
『うぜぇんだよ、お前』と呟いた。
その声は低く冷たいもので
ああ、本気で怒ってる。
これは本物の拒絶だ、と
そう思った彼女は
すぐに手を退けようとしたが遅かった。
左手で強く握られた手は
ピクリとも動かす事が出来ず
痛いぐらいの力強さで、彼女を拘束する。
漸く感じた少しばかりの恐怖に
『イノセさん?』と名前を呼び掛けるも
彼は、黙って此方を見つめていた。





『イノセさん、どうしたの?』



『空気読めねぇのもな、此処まで来たら神懸かり的だ』



『へ?』





暫くの沈黙の後、急に何を思い付いたか
ニヤリと笑った彼の起伏について行けず
フリージアは首を傾げる。
そんな彼女をお構いなしに抱き寄せると
自らの血で汚れた白い指先を口に含んで
生温い舌を這わし、目を細めた。
血を綺麗に舐めとると
彼女の手の甲にキスをする。
互いにその意味を
深く考えてはいなかったが
悪魔のそれは本来、忠誠や
親愛を指す行為だった。



『あの、イノセさん!!』




強く強く引かれて
身動きも出来ずにその腕の中に収まる。
椅子にもたれたイノセントを
押し倒すような形になって
状況を理解するまでに少し時間がかかったが
脳がそれを理解した時には
信じられないといった表情で
彼女は顔を真っ赤に染め上げた。




『何してんですか!?』



『何だろうな?』




クツクツと笑いながら彼女の頭を引き寄せて
耳元で囁くと、軽く唇に口付けて
首筋に強く噛み付いた。
くすぐったさと激しい痛みで
『ひっ』と口から零れた声に
恥ずかしくなった彼女は
片手で口元を抑えたが
彼は『抑えんじゃねぇよ』と
ますます嗜虐的に彼女に噛みつく。



『い、イノセさん、痛いです!』



『知るか』


はだけた上着が邪魔だと
彼女のパーカーを脱がせると
服の下に入り込んだ手が
腰に回り、妖しく蠢いた。
ぞわりとして身を捩るが
彼女の抵抗は虚しく彼に掻き消される。
これは拙いと、イノセントに呼び掛けるが
相手はただニタニタと笑ってるだけで
状況は悪化の一途を辿る。
いつもと違う執拗な愛撫に
怯え始めたフリージアは涙ぐんで
『やめてください!』と声を荒げた。



『顔見に来たんだろ?だったら、ほら。好きなだけ見てけよ、飽きるまで───』




肩に口づけて、今度はそのまま
喉に甘く噛みついてきた。
『なあ。ここ、食いちぎっていい?』と
冗談なのかも本気なのかも判らない
そんな口振りで、ゆっくり舌を這わす。




『やだ、やだ!!』



『じゃあ、此処は?』




唇を割って、自分のものではない
舌が入ってくる。
乱暴で、一方的で、けれど
背中にぞわぞわと
恐怖以外の何かを感じさせる行為。
絡まる舌に言葉は吐けず
息苦しさに涙が零れた。
尖った歯で甘く舌を噛まれて
大きく息が漏れる。
舌も喉も噛みちぎられたら
死んでしまうに決まってるのに
彼は本気で言ってるのだろうか。




『───いや!! 何言ってんですか、イノセさん!! 駄目に決まってるでしょう!?』




『・・・だろうな』





『イノセさん?』




『あー。違う、こんなことがしたいんじゃねぇ』



『?』



『───いや。悪い。今のは八つ当たりだ。忘れろ』



『え?』




突然。彼女から目をそらして
バツが悪そうに髪をかきあげたイノセント。
思いも寄らない彼の態度に
彼女は呆然として暫く考える。
情緒不安定な彼の起伏は
時折まるで掴み所が見当たらなくて。
慰めも。叱咤も必要としない彼に
何をしてあげたらいいのか
自分には思い付かない時があるから。
けれど彼は、いつだって
自己完結して先に行ってしまう。
その葛藤を人に話さない。




『お前を犯したいのは。違いねぇが、今は気分じゃねぇ』




手の甲で目を覆い、気怠そうに
小さな溜め息をついた彼は
片手で強く彼女を抱きしめると
『そうじゃねぇんだよ、コイツは』と
掠れるような声で呟いた。
誰に言ってるのかも判らない言葉と
今しがたの、出来事について
聞きたい事は沢山あったが
イノセントは彼女の額に口付け眼を閉じると
そのまま深い眠りについた。
何が何だか、よく判らない彼女は
急に静かになった
彼の前髪を引っ張ってみたり
額をつついてみたりしたが
彼が反応を返す事はなかった。
『うーん。眠たかったのかな?』と
極めて平和的な答えを導き出した彼女が
彼の怒りの原因を知る事は無かったけれど
伝わってくる体温は暖かくて
それが何だか心地よかったから
そのまま彼と眠る事にした。
もう怖くはない。
これはいつものイノセントだと
彼の肩に頭を預けて顔を眺める。
銀色の髪をサラサラと指で掠めて
彼女もまた眼を閉じた。
チョコレートのように甘い香りが
ふわりと香る。




『よくわかんないけど。あんまり。自分を傷つけちゃ駄目ですよ、イノセさん』




悪魔らしくも自己再生能力の高い
彼の傷は、既に消えかけていた。



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