偏愛フリークス

□蝉時雨(完結)
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───脳裏に焼き付いてるのは
息苦しさと、五月蝿い程の蝉時雨。
遠い昔の事なのに。色濃く、鮮明に。





『───月子さん。俺がいいんだってさ』



『離せ、秀司』



『可哀想だね。あんなに、大事にしてたのに。月子さんの事』



『離せって・・・、秀司』



『昨日。一緒に出掛けたんだよ。兄さんの誕生日プレゼントを買いに行こうって。俺から誘った』



『・・・・』



『そしたら、割と簡単に。ついてきたから。ちょっと言い寄ってみたら。すぐだったよ』



『秀司───!!』



『「俺が」いいんだってさ』



『お前・・・また・・・、どうして、いつも・・・そうやって、俺の────』



『兄さんが悪いんだよ。ちゃんと繋ぎ止めておかないから。月子さん、言ってたよ。兄さんは優しいけど「優柔不断」だって』



『・・・っ』



『俺は。優柔不断でも。優しいに越した事は無いと思うんだけどな。兄さんは、俺なんかより。ずっと優しくて「いい人」なのに。馬鹿だよね、彼女』



『・・・離してくれ、秀司。頼むから、もう、聞きたくない』



『ちゃんと大事にしてたのに。何にも伝わってないなんて。可哀想な兄さん。でもね、兄さん。それ以上に。俺だって。大事にしてたんだよ。兄さんの事』



『・・・』


『兄さんは、いつもそう。ずっと。ずっとさ・・・。知ってるクセに。気付いてるクセに。見ないふりしてるだろ? 俺が、どんな風に兄さんを見てるのか。ちゃんと自覚してるのにさ。優しいから、突き放しもしない』



『別に・・・お前が。男を好きでも、何でも。俺は気にしない。それはお前の問題だから。でも、それを俺に向けるなよ。俺達は、兄弟なんだ・・・血の繋がった兄弟なのに。そんなの、許される事じゃない。どう考えたって「異常」だ・・・』



『そうだね。でも。どちらか一方が。こんな感情を抱え込んでる時点で。最初から「普通の兄弟」なんかじゃないよ』



『秀司、俺は・・・』



『だから。腹癒せなんだよ。俺を置き去りにして。兄さんだけ、月子さんと楽しそうにしてるのは、許せなかったから』



『・・・そんな、理由で? そんな理由で、月子を───』



『そうだよ「そんな理由」くだらないよね。でもね、兄さんが好きなものなら。俺だって好きになれるんだよ。ほら、何でも半分こって。昔。母さんに言われただろ?』



『秀司、お前・・・』



『───ねぇ。月子さん、返して欲しい? また、独り占めしたい?』



『・・・』



『だったら。俺にも何か頂戴。そしたら。返してあげるから』



『何かって?』



『例えば。ほら────』




脳裏から。消える事の無い、呪いの言葉。
照りつける日差しと。蝉の声。
誰もいない部屋の中。
畳と。汗と。息苦しさと。
何にも救済の無い、一夏の出来事。
大して変わらない背丈も。体格も。
まるで上っ面だけで。
それは、とても異質なものに見えた。
俺が知ってる『秀司』じゃない。
乱暴で。冷たくて。恐ろしい。
『化け物』のように─────。
どんなに抗っても、されるがまま。
悲しいほど。非力な自分に絶望して
泣き喚いていた気もする。
殺してやるなんて物騒な事を
叫んでたかもしれない。
それでも秀司は。
幸せそうに笑って。俺を、犯した。
嗜虐じゃない。興味本位でもない。
ましてや性欲の捌け口ですらなくて。
紛れもなく『俺』に向いた情欲。
見てみぬふりをし続けた愛情の氾濫。
ずっと好きだった人を奪われた挙げ句
尊厳を踏みにじられて。
俺の価値観を酷く歪めてしまった。
夏の日の悪夢。あの日、あの時から。
何か。大事なものが見当たらない。
愛とか恋とか自分とか。まるで乾いていて
上っ面の世界に生きている。




『───兄さん。こっち、向いて』



『・・・何だよ』



『お帰りって。言ってなかったからさ』



『・・・』



それでも。身体に染み付いてるんだ。
背徳と恐怖。痛みと憂鬱。
絡みつく視線の、その重苦しさが。
毒のように。余すこと無く全身に。
此処に帰って来ると。
あの夏に呑まれてしまう。
俺の時間は。あの日で止まってる。
顔を押さえ込まれて。乱暴に唇を食まれた。
当然のようにねじ込まれて来る舌に。
諦めが付きまとう。
眠っていた虚ろな感情が引きずり出されて
目を閉じる。抗っても。暴れても。
秀司を前にすれば逃げられないと
身体が、覚えているから。
この圧倒的な情愛からは抜け出せない。
だから。ずっと避けて来たのに。
だから。会いたくなかったのに。
秀司は、まだ。俺を。




『父さんの、様態は───』



『ちょっとした過労だって』



『な・・・』



『俺が。言ったんだよ。何かあったら困るし。兄さんも呼ぼうって』



『・・・、』



『じゃなきゃ。来ないだろ? 兄さん』



『騙したのか』



『騙した訳じゃないよ。父さんが倒れたのは本当の事だし。たまには顔見せてあげなよ』



『・・・なんで、今更』



『だって。兄さん、俺だと電話切るし。黙って、部屋も引っ越してたじゃない? ・・・マンションまで会いに行ったんだけど。空き部屋になってたしさ・・・。まだ俺から逃げてるのかなって。母さんに聞いても「そのうち落ち着いたら連絡する」って、そればかりだって言うし。どうやったら、会えるのかなって。ずっと考えてたんだ』



『・・・』



『矢先。父さんが倒れたから。これならって』



『お前・・・本当に。最低だな』



『そう?』



『・・・騙されて。のこのこ帰って来たなんて馬鹿みたいだ。親父が無事なら、俺は。それでいい。よろしく言っといてくれ』



『駄目だよ。此処まで来たなら。ちゃんと顔出さないと。みんな会いたがってるんだから』



家族の為だと。聞こえるように
並べ立てられる虚飾。
少しも離れようとはしない身体。
俺には何も言わせまいと。
否定の言葉が食われてく。
息が出来ない程。しつこく嬲られて。
甘噛みされた舌がじんじんと。痺れてくる。
流れ込んで来る唾液を無理矢理喉に通す。
しつこく、上顎をなぞる舌先に
閉じた瞼からは。涙が零れる。
背筋を走り抜ける寒気にも似た感覚と
反面で、上昇する体温。



『離せ。誰か・・・に、見られたら』



『今。いないよ、誰も。兄さん帰って来るからって。母さん張り切っちゃって。買い出しに行ってる。もうすぐ戻って来るけど』




『・・・、』




『だから。今は、二人きり』




──────ほら。やっぱり。
此処には救いが無い。
秀司は。目を細めて。笑ってる。
取り繕う事も出来ない。
・・・どうして。俺なんだろう。
どうして。俺を選ぶんだろう。
秀司は、いつだって。誰かに愛されてる。
何処にいたって。俺よりずっと
もてはやされて来た。
全部持ってるんだ、俺と違って。
なのに。俺が欲しいものは
悉く、コイツに奪われてしまう。
俺のものを奪って、壊して。
孤独になるのを待っている。
いつだって『好きだから』
その一言で。終わってしまうんだ。
だから。考えるのを止めた。
関わらなければ、いつか。時間が。
解決してくれるんじゃないかって。
そんな風に思ってたから。
全部捨てて。家を出たのに。



『兄さんと、話したい事。沢山あるんだ』



『・・・俺は。無いよ』



『部屋で。話そうか』



時間は。何にも。解決してはくれなかった。
突き付けられた現実が痛い。
父さんも母さんも知らない
『異常』が。ここに潜んでる。
ずっと俺と秀司の間にある
『それ』を誰も知り得ない。
上っ面に強要された『家族ごっこ』
薄気味悪くて反吐が出る。
根本的に腐ったものは。
何をどうしたって。
正常な形には戻らないのに。




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