鵺奇譚

□赤い桜
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はらはらと散る花。

目を瞑ったような闇の中、白く浮かび上がるは桜。
橋の袂で雅やかに、大らかに広がっている。
自殺の名所は綺麗なところが多いと聞くが、ここは本当に綺麗だ。

皮肉だと思った。

私はここに身投げをしに来たというのに。
絶望感が身体に満ちて、生に倦み、全てを投げ出して、私は今、この場で自らの命を絶ちに来たというのに。

「綺麗…」

本当にそう思った。
散り際が美しいのは、次の生へ繋ぐため。

私とは―――違う。

漸く桜から目を逸らすと、道を挟んで向こうの桜が目に留まった。

否。桜が目に留まったのではない。
その桜の下に一人の少年が立っているのに気がついたのだ。
人がいるのでは身投げする気にならない。
しかし、こんな時間に、こんな曰く付きの場所に―――少年?

「今晩和。お姉さん」
「…今晩和…」

少年は桜から背を離すと道の真ん中まで近づいてきた。

「こんなところで何しているの?」
「…桜を…見に来ただけ」
「こんな時間に?」
「…君こそ、こんな時間に?」

少年は首をかしげ、軽く微笑む。

「お姉さんは…この桜に用があるんじゃなくて、あっちの橋に用があるんでしょ?」

す、と少年が指し示す先は、自殺の名所と呼ばれる「桜大橋」。

「ち、違う。私は桜を…」
橋から目を逸らすようにして、桜と少年に視線を戻す。
「!」
少年はすぐ側まで来て、私を見上げていた。

「本当かなぁ」

私は薄気味悪いものを感じて、一歩後退る。
「本当…だよ」
少年の首は先ほどよりも角度を増して傾く。
笑みも先刻より深くなっていた。
「何なの…」
「お姉さんは、ここに死にに来たンでしょ?」
「え…」

「新入社員苛め?詐欺?」
「何を…」

「不倫…親の借金?色々あったんだねぇ」
かあっと頭に血が上るのが分かる。

「何を言ってるの!そんなんじゃないって言ってるじゃない!!」
声を張り上げて抗議すると、ふ、と周囲が暗くなった気がした。

「何…?」
辺りを見回してみる。
特に何かが変わった風には思えない。
否。

「何…これ…」

桜が真っ赤に染まっていた。

赤。
紅。
赫。
赤い桜が一面に咲き誇っていた。
「さっきまで…こんな色じゃ…」

「お姉さん」

ドキッとして、少年に目を戻すと、少年は更に私を見上げなければならない真下まで近づいていた。

「知ってる?桜の木の下には…死体が埋まってるんだって」
「な…に…」

くすくすと笑う少年の首は、不自然なほどにぐったりと真横に折れ曲がっている。

「教えてあげる」

少年は折れた首を少し上に向ける。


「あの桜の下にはね…」

ざあっと風が吹いて、桜は赤い血飛沫をあげる。
「ひ…っ」
足が縺れて転倒する。
少年の手が伸びる。
頭を抱えて目を閉じた。






「―――――僕が、埋められて、いるんだ」




どのくらいそうしていたのだろうか。
恐る恐る目を開けた。

桜の色は真っ白で、其処に居たはずの少年は居なかった。
「…夢?」
ゆっくりと立ち上がり、最初に少年が居た桜の木に近づいてみた。

「!」
何かの影に一瞬こわばったが、すぐにそれは小さな堂だと知れた。

「お地蔵様…だ」

本当に小さな堂の中に、小さな地蔵が立っていた。
その首がかすかに斜めっている。

「…君だったの?」
ざあっと風邪が白い花を散らす。
「…はは」
まるで狐につままれたようで、急に可笑しくなって、一人笑う。
悟ったように、死への渇望が癒えていた。
何だか全てが馬鹿馬鹿しくなった。

「有難う」
もう少しだけ頑張ってみよう。
私は、その小さな地蔵に手を合わせてその場に背を向けた。


ごとり。

「?」
重い音がして振り返る。

地蔵の頭が落ちていた。

「…また君?私を脅かそうとして―――…!」
一笑してやろうと近づいたその足が止まった。

堂の横。
桜の木の根の間から何かが突き出ている。

遠い街頭の光に照らされて、白く浮かび上がったのは白骨と化した小さな―――手。

「…あ…あ…」
違った。
地蔵なんかじゃなかったんだ。
後退りする私の耳元で風が笑う。


「ね?本当だったでしょ?お姉さん」


笑い声が周囲を回る。
そうだ。思い出した。
自殺の名所とは、先に死んだ者が次の人間を呼ぶのだと。

生きている人間を引きずりこむのだと―――

赤い桜が私を見下ろしていた。


赤い桜  了

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