鵺奇譚

□妻の手紙
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仕事の都合で遅くなってしまった盆休みは8月も末。

私はここ数年帰っていなかった故郷の土を久方ぶりに踏んだ。

こんなにも、この町は寂れていただろうか。駅を出て見回した景色は、今まで抱いていた故郷の姿よりも寂しく感じられた。

過疎化の進む田舎町。ここもその例に他ならないのだろう。
此処から歩いて十分と少し。私は片側には山の尾根、もう片側に田畑が広がる簡易舗装の道を、長閑な景色を眺めながら家路に足を進める。

学生時代に何度も通ったこの道。懐かしさを感じながらゆっくりと歩いていくと、古びた橋に辿り着いた。
欄干は錆び、黄色かったらしい塗装は殆どが錆びていてもとの色が思い出せない。

「結構、高かったんだな」
自殺の名所などと曰くつきの橋だった。
しかし、この田舎町で高い場所などそうざらになく、一瞬で死にたい人間には、此処しか選べなかったというだけで、当時囃されていた「先に死んだものが呼ぶ」などという他愛も無い噂も、今は懐かしいだけ。

都会に出て、曰くつきの場所が呼ぶ人死に回数よりも、都会の事故死のほうが何倍も多いと知った。
学生時代、深夜にこの場所を通るのが怖かった自分が何だか可笑しい。

一人苦笑して橋を渡りきった直ぐ側に、寂れた公園があった。
既に公園とは言いがたく、ただの空き地に近い。誰かが建てた地蔵の帽子と前掛けの赤だけが、鮮やかな色彩を放っていた。

その奥で煙が上がっているのに気がついて、ふと足を止める。野火なら大変だと近寄ってみると誰かが焚いていた火だった様で、側には男が立っていた。

男は私に気がついて口の端に笑みを浮かべると、首をかしげた。私はそのまま踵を返す訳にも行かず、目礼を返して火の側に近寄った。
「向こうから見ると誰も見えなくて。野火かと思ったので…」
「ああ、そうですね。出来るだけ人目に付かないようにと思ったので」

ダイオキシンの問題だろうか。
私は何気なく燃え盛る炎に目をやる。
燃えているのはアルバムのように見えた。
それから、この既に燃え尽きているものは女性物の服のようにも見える。

「…何を燃やしているんですか?」
私の問いかけに男は「妻の遺品です」と寂しげな笑みを、再びその無精ひげの生えた口元に乗せる。

しまったと思いながらとっさに謝って、そそくさとその場を離れた。
離れてからもちらちらと見える炎。
送り火だったと漸く気づいた自分が少し情けない。
田舎にはまだこんな風習を守っている人も居るのだ。

実家に着いて母と父の顔を見てから墓へ向かう。
ここもまた、こんなにも寂しい所だったのかと思わずには居られない程だったが、特に長居をする気もなく線香を上げて直ぐにその場を後にする。
墓場を出ると直ぐ側の駐車場に、先刻の妻を亡くしたと言う男が居た。
私は不思議に思いながらも、男に見つからないようにさっさと家へと戻った。

再び橋を渡り、公園を見る。
火はちゃんと消えていた。


数日滞在のつもりが、急な仕事が入って、直ぐに発たなくてはならなくなった次の日。
再び橋の袂で男に出会った。

男の手にはまた燃やすのだろう「遺品」が入った紙袋が握られていた。

「こんにちは。…また燃やされるんですか?」
「…ええ。これがあると妻が自分の許から離れられない気がして…」

列車の時間もあったので、少し男に付き合うことにした私は、男が紙袋から出すものを少しはなれて見つめた。

写真に手紙。
手紙の宛先は全て男へのものだった。

「昨年の冬に肺を患いまして…すぐ。…妻は手紙を書くのが好きでした。私に何通も何通も手紙を書いては寄越して…」

白い封筒が炎に揺らめく。
その上から写真をばら撒いた。

「…あっ」

私は写真の人物に驚いて小さな声を上げてしまった。
男は私を見上げて首をかしげたが、写真をよく燃えるようにと棒切れでかき回した。

「…私は妻を愛していました。妻もそうだったと思います。だから…こんなに手紙が溜まってしまって」

手紙はぱちぱちと音を立てて燃えていく。

「…帰ったらまたきっと…私の家の郵便受けには妻の手紙が入っているんです…沢山…沢山…」

漸く私は悟った。
この男は少し怪訝しくなっているのだ。

死んだ妻から届く手紙を遺品と共に、毎日焼きに来ているという男の話しはどう考えても信じられない。

私は列車の時間を理由に、その場から立ち去る事にした。

「では、失礼します。あの…奥さんも大変でしょうが…」

私の言葉に男は目を見開いたまま、立ち尽くしていた。
私はそのまま橋を渡る。

「本当に大変だな、あんなに若いのに」

私は同情していた。男にではなく、その後ろにいた女性、つまり男の妻に。

写真に写っていた人物は、最初から男と共に居た女性だった。
自分のことを死んだと思われているのは、きっと辛いだろうと、私は最後の言葉は彼女にかけたのだ。

彼女は嬉しそうに笑って、男に寄り添っていた。

「あんなにいい奥さんなのに…」

私は橋の中腹で足を止めた。
空を見上げると、8月の末とは言えまだじりじりと日差しが強い。

私の肌もじっとりと汗ばんでいるくらいだというのに。何故か男も、その妻も冬の服装をしていたのだ。

「昨年の冬に肺を患いまして…」

私は振り返って公園を見た。
木々に阻まれて男の姿も妻の姿も見えなかった。

ただ、空に昇る煙だけが、私を見下ろしていた。


妻の手紙  了

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