鵺奇譚

□迎え火
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 久方ぶりの盆休みを取り、地元へと戻ってきた。
 もう何年も戻って来ていない地元は、最後に訪れた時よりも、更に寂れていた。

 駅に着くと少しノスタルジックな気分に駆られ、タクシーではなくバスを選んだ。
 車窓の外に広がる田園風景は学生時代と変わらない。頭を垂れた稲穂は、今年の豊作を想像させるに十分だった。
 田園、荒地を眺めて15分。数年前には毎日使っていたバス停と同じ名前の停留所は、思い浮かべていた場所よりもかなり遠い位置に変わっていた。

 バスで来たことを少し後悔しながら、熱されたアスファルトを歩く。本来ならば降りて直ぐにあるはずだった交差点が見えてきて、信号待ちに一息をついた。
 何も通らない交差点で信号待ちをするのは少し滑稽だと思いながら、馬鹿正直に信号が変わるのを待っていると、何時の間に来たものか腰の曲がった老人が左後ろにいた。

 ちらりと見たときは気がつかなかったが、信号が変わり、足を踏み出した私の後ろで、老人は何かに躓き杖を倒した。

「大丈夫ですか?」
 杖を拾って手渡す。「ありがとうね」という声とともに顔を上げた老人は、隣の老婆だった。

「あれ? おばさん! ご無沙汰してます、隣のヒロです!」
「ヒロちゃんかい。久しぶりだねぇ」

 表札や回覧板にかかれていた苗字しか知らない。ただ「隣のおばさん」と親しんできた人だった。こんなにも年を取ったのかと思いながら、彼女の歩く速度にあわせる。
 何気ない話をしながら歩いていたのだが、どうも様子がおかしい。枝道に差し掛かるたびに曲がろうとする。

「おばさん? うちはこっちだよ?」
「そうだったかい?」

 そんな問いを三度繰り返し、おばさんは痴呆にでも掛かったのだろうか。徘徊老人となってしまったのだろうかと、妙に悲しくなった。それと同時に自分が見つけてよかったとも思った。事故にでも遭ったら大変だ。

 実家の前を過ぎ、隣家へとおばさんを導くと、おばさんはほっとした顔をして私を見上げた。

「ヒロちゃんのお陰で迷わずに着けた。それに比べて、あの子等と来たら全くなっちゃいないよ」

 足腰こそ衰えていたように思えたが、口調ははっきりとしていて、呆けているとは思えなかった。痴呆なんて、そんなものだと身内の介護で理解はしていたから、深くは考えなかったが。

「じゃ、これで」
 簡単な挨拶をしておばさんが家の中に入ったのを見届けてから、実家の玄関を開けると、隣家のおばちゃん――つまり、さっきのおばさんの娘がいた。

「あ、おばちゃんこんにちは」
「ヒロちゃん、ご無沙汰ね」

 からからっと笑う隣のおばちゃん。きっと母と長話でもしていたのだろう。その間におばさんが徘徊してしまって迷子になった。そんなところと推測し、「今、おばさんに会いましたよ」と伝えれば、人のよい赤ら顔から、さっと色が無くなった。
 自分が油を売っている間に母親が徘徊していたのだ。冷や汗ものだろう。私はそう考えていたのだが、慌てて母が割って入ってきた。

「何いってんの! おばさんは昨年の冬に亡くなったでしょ!!」
「え? いや、聞いてない。っていうか、今、交差点からずっと一緒に歩いてきたんだけど。やたらに道を間違うから、痴呆になったのかと心配した……」

 そこまで言うと、おばちゃんは慌てて戻っていった。
 お隣は盆提灯も出していなければ、迎え火も焚いていなかったらしい。

「隣のおばさん、初盆で迷っちゃったのね」

 仏壇の蝋燭に火を灯しながら、母は少し寂しげに笑った。
 線香の煙が、窓辺に流れていった。




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