鵺奇譚

□禁忌
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「本当にこっちであってるんだよな?」
そう訊かれて、僕は頷いた。

「だって来るとき一本道だったじゃないか。迷うはずがないよ」
迷うはずがない一本道で、僕たちは確かに迷っていた。


お祖父ちゃんから教えてもらった秘密の場所。
教えてもらったとおり山裾を左に行くと、一本の獣道があり、真っ直ぐに進むと沢があった。
そこにはザリガニや沢蟹、横に少しだけ溜まったような小さな沼にはフナや川エビがいた。
僕と和弘はそこで沢山のザリガニを獲り、フナを釣って日が傾くまで遊んだ。

「そろそろ帰ろうか」
僕が釣竿を片付け始めると、和弘も空を見上げて渋々従った。
フナやザリガニを逃がそうとすると、和弘が大きな声を上げて僕の手からバケツをひったくった。

「何してんだよ!」
「何って、逃がそうと思って……」
「だから、何で逃がすんだよ!! 今日の成果だろ?」

和弘は折り畳んだ釣竿をさっさとケースにしまうと、それを僕に押付けてバケツを2つ持ったまま歩き出した。
「持って帰ってどうするんだよ」
「皆に見せびらかしてやろうぜ!! あ、でもこの場所は2人だけの秘密にしような」
和弘はにんまり笑った。
僕は少しだけ困った。何故ならお祖父ちゃんに念を押されたことがあったからだ。
「和弘。ダメだよ。最初に言ったろ? ここのものは持って帰っちゃいけないってお祖父ちゃんが……」
「そんなの黙っていればいいことだろ」
ずんずんと先を行く和弘を止めることが出来ず、僕は仕方なく2人分の釣竿を抱えて後を追った。

ご機嫌な和弘の話に適当な相槌を打ちながら、もと来た道を歩く。

歩く。
歩く。歩く。歩く。

だが、幾ら歩いても道の終わりが見えない。
2人ともおかしいと薄々気が付いているのに、口に出すとそれが悪化してしまう気がして。あえて話題に出さない。
しまいには2人して無言で歩くだけ。

その沈黙に耐え切れなくなった和弘がとうとう口を開く。
「本当にこっちであってるんだよな?」
そう訊かれて、僕は頷いた。
「だって来るとき一本道だったじゃないか。迷うはずがないよ」

迷うはずがない一本道で、僕たちは確かに迷っていた。
足を止めて後ろを振り返る。だが、沢も見えない。
それどころか、前も後ろも分からないような獣道に、じわじわとした恐怖を感じた。

「ちょっとだけ休もうぜ」
「でも、暗くなったりしたらやばいよ」
座り込んでしまった和弘は、バケツを地面に置いたものの、手を離そうとしない。
バケツの中ではフナが元気に泳いでいる。
「少し水捨てて軽くしたら?」
「いや、ダメだ。こいつが弱って死んじまったら意味ないからな」
和弘はバケツの中を覗き込む。

僕はため息をついて空を見上げた。木々の隙間から見える空は薄闇が忍び寄ってきている。

「和弘、急ごう。もう日が沈んじゃうよ」
僕は座り込んでいる和弘の横をすり抜けて先を行く。
「待ってくれよ。もう少し休もうぜ」
「ダメだよ。夜になったら真っ暗で、それこそ帰れなく……」
帰れなくなる。そう言おうとして僕は振り返った。

そこに和弘の姿はなかった。

今、話していたはずなのに。
十歩と歩いていないのに。
見えていいはずの和弘の姿はなく、ただ真っ直ぐに道が伸びていた。

「和弘?」
もしかしたら道の横の草むらに隠れたのかもしれない。
僕は戻って和弘を探す。

だが、確かに和弘が座り込んだ跡はあるのに、和弘の姿だけがない。
草を分けてあたりを探すが、和弘も2つのバケツも見つからなかった。

突然近くの木から山鳥が声を上げる。
1人になった僕は怖くなって走り出した。

途端に目の前が開けた。

「え?」
僕は夕焼けが消えかかる山裾に立っていた。

「雅史」
不意に名前を呼ばれて振り返ると、お祖父ちゃんが帰りの遅い僕を心配して迎えに来てくれていた。
「お祖父ちゃん!!」
僕はお祖父ちゃんに抱きつくと、和弘が突然消えたことを告げた。
するとお祖父ちゃんは厳しい表情で「何か持ち出したな」と小さく呟いて山を見る。

和弘はバケツを手放さなかった。
バケツに入っていたフナやザリガニを。

「持ってきたものを置いてきたら、帰ってこれる?」
「すぐにな。だから、山に入ったことは誰にも言っちゃあいかん」
お祖父ちゃんは僕の頭を優しく撫でると、釣竿を片手に。もう片方の手に僕の手を引いて家路へと歩き出した。

僕は振り返る。夕闇が山を閉ざしていた。

和弘はフナやザリガニを手放せるだろうか。
和弘は帰ってこられるのだろうか。

そういえば、ザリガニを入れた方のバケツは僕のものだった。
僕のバケツは戻ってくるかなぁと思いながら、空を見上げた。
星が1つだけ瞬いていた。

 了

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