鵺奇譚

□忘れる
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「これ、美味しいですね」
「それは茗荷の漬けたのだよ」

旅先で散策していた私は、ある民家に招かれた。

目的のないのんびりとした一人旅だったため、畑仕事をしていたお婆さんと挨拶を交わし、少し収穫を手伝った。
一服しようと招かれて、縁側でこうして漬物を摘んでお茶をすすっている。
おばあさんが漬けた漬物が余りに美味しくて、盛られた小鉢をほぼ一人で平らげてしまった。

「皆食べてしまったね」
「ホントに美味しかったです。ご馳走様でした」
そろそろ行こうと立ち上がると、おばあさんがぽつりと「忘れんでないよ」と言った。

意味不明な一言ではあったが、私は笑顔で「はい」と返し、お礼を言ってその家を出た。


暫く道を歩いていくと、不思議なことに気がついた。
その道が何処に続く道なのかわからないのだ。
「あれ?」
元来た道を辿っていたはずなのに。
全く見知らぬ道だった。

迷った!?
嫌な汗が背中に浮かぶ。
見知らぬ土地で――しかも民家のないところで道に迷うなど、自殺行為もはなはだしい。

このまま進むのは危ないと判断し、今着たばかりの道を戻ることにした。


暫く歩くと、畑や田んぼが広がる場所に出た。
少しだけほっとして周りを見回すと、畑におばあさんが居た。

挨拶を交わして道を尋ねようとしたが、おばあさんが余りにも沢山の収穫物を抱えていたので手伝いを申し入れた。
収穫を手伝い、収穫物を家まで運ぶと、おばあさんは私を縁側へ招き、お茶を入れてくれた。

お茶請けにと出された小鉢の中には、赤紫の漬物が入っていた。
「いただきます」
摘んでみるととても美味しい。

「これ、美味しいですね」
「それは茗荷の漬けたのだよ」

あれ?
妙な既視感。
気のせいかと思いながら、美味しい漬物を平らげてお茶を飲み干した。

「ご馳走様でした。私、そろそろ行きますね」
「アンタ、本当に茗荷が好きだねぇ」

 おばあさんは私の顔をじっと見ると、それはおかしそうに笑った。

「美味しかったです」

そろそろ行こうと立ち上がると、おばあさんがぽつりと言った。


「今度は忘れるんでないよ」


私は笑顔で「はい」と返し、お礼を言ってその家を出た。


忘れる  了

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