時の井戸

□其の名は〜疑い
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どれ位そうしていただろうか。
漸く泣き止んだ梵天丸をそっと胸から離した。

「もう、大丈夫か?」
恥ずかしげに頷く梵天丸の濡れた頬を袖で拭いてやる。
その手をやんわりと退けて、梵天丸は再び包帯を手にした。
「…」
じっと包帯を見つめたまま、立ち尽くす。

「…巻けないなら俺が巻いてやろうか?」
「いや、そうではない………なぁ、吉法師」
やや硬い声と薄い笑顔に、何か嫌な予感がした。

「…どうかしたのか?」
包帯を見つめたままの梵天丸は、漸く視線を上げると軽く首を振った。

「何でもない」

きっと、それは前兆だったに違いない。
だけど、その時吉法師には分からなかった。

「何…」
「若様!!」
問い詰めようとした吉法師の声に、喜多の声が重なる。
事の顛末を小十郎に訊いて、急いで来たのだろう。
障子を開いた喜多は息を切らしていた。

「喜多…?」
「わ、若…さ…」

ぼろぼろと泣き始めた喜多に、二人はぎょっとして顔を見合わせた。

「喜多!?どうしたんだ」
「喜多殿???」

二人して喜多の傍でおろおろしていると、まとめてぎゅっと掻き擁かれた。
「喜…」
「喜多はもう、若様がお部屋から出てきて下さらないものかと思いました…これも吉法師殿、貴方様のお蔭です。有難う御座います」

女子に抱かれるなんて、乳母以来ではなかろうか。
何やら照れ臭い。

「俺は…別に何も…」
「喜多、大袈裟だ」
横を見れば憮然を装っているつもりの梵天丸が、顔を赤くして苦い笑いを浮かべていた。

「ほんに…ほんに、よう…御座いました…」

鼻をぐずぐずとさせながら、嗚咽と共に絞り出された声。
心から梵天丸を心配していたのだろう。
母親を差し置いて、梵天丸を抱きしめてやることも適わずに。

ああ。
似ている。

先程の、過保護なまでに梵天丸に触れること適わず焦燥した小十郎に。
やはり姉弟なのだ―――と吉法師は思った。
小十郎も、喜多も梵天丸を大切に思っている。

「良いのぅ」
微笑ましくて、つい漏らした一言に、梵天丸が照れ臭そうな顔で「煩い」とそっぽを向く。
その耳まで真っ赤にした横顔が凄く―――可愛い。

そんな事を言えば、きっと怒るだろうから言わないけれど。


それから暫くして、泣き止んだ喜多の腕から開放されると思いがけない事を言われ、吉法師は素っ頓狂な声をあげた。
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