時の井戸

□再び〜逢いたい
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『時の井戸』―――
それは、『今』ではない『何時か』に繋がるという。
そして、何処にでも存在し、何処にもないのだという。

だが、それは確かに存在した。
その井戸に落ちて、全く知らない土地の1人の童子と出会った。
もう一度―――梵天丸に逢いたい。


「じい!!教えて欲しいことがある!!」
吉法師は城に着くなり、「じい」こと青山与三右衛門に詰め寄った。
「米沢とは何処にある!!」
「突然何かと思ったら。米沢?ですか…ふむ。この辺りではなさそうですなぁ」
頼りない答えに、肩を落とす吉法師の背後から「奥州の地名ですな」と声が掛かる。
「平手じい!!米沢を知っておるのか!!」
「奥州ですか…流石、平手殿は博識ですなぁ。奥州の片田舎まで知っておられるとは」
感心顔の青山を尻目に吉法師は平手に詰め寄る。
「奥州とは何処だ!!平手じいは行った事があるのか!?」
「いえ、奥州に行った事は御座いませんが、主家斯波氏の分家が奥州に散っているので御座います」
斯波氏とは織田家の主に当たる尾張の守護大名家である。
幼いながらにそれ位は分かった。
「…なら、『永禄』と言う年号は知って居るか?」
「永禄…ですか?訊いた事がないですな」
平手でさえ訊いた事がない年号。
梵天丸は出鱈目を言っている様には見えなかった。
それは、やはり未来の年号と言う事なのだろう。


部屋に戻って、平手に借りた地図を見る。
「奥州…米沢」
確かにその地名はあった。
だが、とてつもなく遠いのだと言う。
勿論、今米沢に行ったとて梵天丸が居るわけではない。
彼は『永禄』の生まれなのだから。
「…」
今、この時に梵天丸は存在していない。
もしかしたら『永禄』と言うのは、ずっと後の年号で。
吉法師が死んだ後に生まれて来るのかもしれない。

そう思うと、胸の辺りがちりりと痛んだ。


それから暫く雨が続き、『時の井戸』を探しに行くこともままならず、吉法師は青山に書物を見せてもらっていた。
気も乗らず、そぞろにしている吉法師の横で青山が説明をしていく。
「珍しい成りをしているこれが、梵天の神様なのですな」
「…であるか…ん!?……梵天!!?」
心此処にあらずと言った吉法師が突然に反応を示して、気を良くした青山は続ける。
「梵土天竺の事ですな。梵は雷霆の神を指し、密教では十二天の一を梵天と言いまして帝釈天の…」
「……アイツの名前にはそういう意味があるのだな…」
顔に似合わず強そうだ―――などと言ったら、梵天丸はまたあの可愛らしい頬を膨らませて怒るのだろうか。

吉法師は縁側から空を見上げた。
早く雨が上がればいい。
また『時の井戸』を探して、逢いに行こう。
今度は菓子を持っていこう。
アイツはどんな菓子が好きだろうか。

雨は止みそうになかった。



雨は一週間降り続いて、漸く晴天となった。
待っていたとばかりに用意していた菓子を持ち、お目付け役の目を盗み、吉法師は城を抜け出した。
土が流れてぐしゃぐしゃの畦道を走り抜け、塗れた草を掻き分け進む。
あの崩れた石壁を目指して。
あの時は偶然に辿り着いた場所だったが、帰りはしっかりと目印を覚えていったので、探し当てるのは簡単だった。
崩れかけた石壁によじ登り、飛び降りる。

「…あれ?」

地面は硬さを持って吉法師を迎えた。
穴が開く気配は全くない。
「…???」
もう一度登って飛び降りる。
地面は平らのままだった。

何度か繰返したが、吉法師は地面に着地しただけだった。

「…何故だ。何故行けぬ…」
此処だった筈だ。
間違いはない。
なのに何故穴は開かず、時の井戸は吉法師を迎え入れないのか。
それとももう、此処ではなくなってしまったのだろうか。

必死で考えた。
あの時はどうしただろうか。
確か壁に登って辺りを見回して、風に煽られて―――背中から落ちた。

「…背中から落ちなくてはならないのか?」
ちょっと怖いが、やって見る価値はある。

もう一度石壁に登り、目を閉じて深く息を吸い込む。
軽く息を止めると、覚悟を決めたように息を吐きながら背中から倒れ落ちた。



やった。
長い長い落下。
あの時と同じ痛みが背中を打って。
苦鳴を漏らしつつ目を開けると―――

「な、何だこれ…」
辺りは真っ白で、とても寒い。
吉法師は白くて冷たい―――雪の上に転がっていた。

「…この間来た時はこんなんじゃなかったのに…」
同じ時、同じ場所に落ちる訳ではないのか。
今更になって悟る。

こちらの思い通りの時間には落ちる事が出来ないのだ―――と。

ならば、ここは何時だ。
見回したところ、あの時と少し変わっている様ではあるがあの時と同じ場所。
もしかしたら、数ヶ月経ったか―――若しくは、更に遡ってしまったか。
何より梵天丸のいない時に落ちていたとしたら、此処に来た意味がない。
梵天丸を探さなくては―――

「何者か」

立ち上がった吉法師の背後に、低い、それでいて静かな声が掛かる。
「此方を向け。ゆっくりとだ」
言われた通りゆっくりと振り向けば、若侍が太刀に手を掛けたまま吉法師を睨み据えていた。
「…何者か」
もう一度問われた。
答えねば斬ると目が語っていた。

「…吉法師」

ぼそりと名乗れば、若侍は軽く目を見張る。
「…俺は名乗ったぞ。お前も名乗りを上げろ」
「……」
若侍は何やら思案していた様だったが、太刀に掛けた手を下ろすと憮然とした態で「片倉小十郎景綱」と名乗った。
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