時の井戸

□プロローグ〜時空を超えて
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それは何処にでもあって、何処にもない。
どの時にもあって、どの時にもない。

稀に見つけられたなら、その中を覗いて御覧。
きっと、現在、此処とは違う時の流れが見える。

それが―――


「若様ー!!吉法師様―!?何を探しておられるのですか?」
目敏く駆け寄ってきた賑やかな乳兄弟に、苦々しい顔を向ける。
「勝三郎…静かにせい」
「はい!…それで何を探しておられるのですか?」
全く声の大きさが変わらない勝三郎に溜息を吐きながら渋々口を開く。
「俺も先日、伊勢から来たとか言う老法師から聞いたばかりなのだが」
適当に草を分けながら、探している『それ』は―――

「時間を遡れる!?」
「『時の井戸』と言うらしい。遡るだけではないぞ。先を見ることも出来るらしい」
大仰に驚く勝三郎を尻目に再び探し始める。
「若様は時の井戸が見つかったら、何が見たいので御座りまするか?」
「んー…昔の親父殿やじい等を見るのもいいが、先の俺を見るのも良いな。勝三郎の嫁御を見られるやも知れぬぞ?」
「それは面白うござりまするな!」
勝三郎もがさごそと探し始める。

それはこの地にあるかどうか等は分からないが、何処にでもあり、どこにも無いものだと言う。
ならば、此処にあったとて、可笑しくはない。
そう思って探しているものの、自身の背丈よりも高い草の中を探すのは中々に難しい。

いよいよ飽きてきた頃に、ふと顔を上げると何やら半円に崩れかけた石壁があった。
丁度良いとその上へよじ登り、辺りを見回す。
大して高くも無い石壁の上。
先程よりは見渡せたものの、特にそれらしいものも見当たらない。
ここには無いのかと諦めたその時、一陣の風が吉法師を煽った。

「ぅわ…!!」

はためいた袖につられて後ろに落ちた。
この高さでは大した怪我もしない―――筈だったのに。

「!?」

地面がある筈のそこには何もなくて。
段々と遠ざかる空が丸く切り取られて、真っ黒な闇に吸い込まれる様に落下する。
少しの浮遊感と内臓の圧迫。
もう丸い空は見えず、光もない。
衝撃に備えて体を丸めるが、何時までもその衝撃は来ない。
「…何処まで落ちるんだよ」
痺れを切らして、緊張を解いた瞬間にその時は来た。

「ぐえっ!!」
ろくな受身も取れず、地面に叩きつけられて背中を強か打ちつけて悶える。
「…〜っ」
痛い。
だが、痛いで済んでしまった。
あの距離―――と言っても良く分からないが、かなりの時間落下した筈だ。
城の上から飛んだとしても、こんな長時間落下するだろうか。
そして何よりも―――

「…此処は何処だ…」

穴の様なものに落下した筈なのに。
何故広い空を見上げているのか。
穴に落ちたのだから地下ではないのだろうか。
痛みよりも驚きの方が勝って、呆然と空を見ていた矢先にか細い声が掛かる。

「…誰?」

はっと起き上がったものの、背中の痛みが突然ぶり返す。
「いっ…つつつつつ…」
「け、怪我…してるのか…?」
恐る恐る声を発している様な、細い声を辿って顔を向けると其処に居たのは、自分と同じか、少し幼いだろうか。
病的な迄に色が白く、真っ直ぐに伸びた射干玉の黒髪を肩に切りそろえた男童子。
驚愕と恐れ。そして好奇心が揺れる黒曜石の瞳が綺麗だと思った。

「誰か呼んで来るから…其処に居ろ」
そう言われて漸く、此処が先程まで居た原っぱでない事に気が付いた。
何処か中庭の様な場所に、幼いながらも人が来ると大事になりそうだと直感が語る。
「お、俺は大丈夫だ!!そ…それよりもお前の名は?」
「…」
警戒しているのか。

「…に……ろ」

聞き取りづらい小さな声で童子が何か言った。
「ん?」

「だ、だから…人に名を問う前に…自ら名乗りを上げろと言ったんだ!!」

「…は?」
可愛らしく頬を上気させて、おどおどした口調で何を言うかと思えば。
礼儀を問われるとは。
「…くくっ…お前、面白いな」
「な!!?」
嘗て、神官織田家の若君たる自分にこの様な口を利いた童子が居ただろうか。
否、大人とて無かった様に思う。
「いやいや、悪い。失礼仕った。…俺は吉法師だ!!お前は?」

「…梵天丸」

渋々名乗ったその名前を復唱する。
「そうか、梵天丸か。…して、此処は何処だ?」
「吉法師、お前…旅の者か?此処は米沢に決まって居ろう」
「米沢?」
聞いた事のない地名だった。
「俺は尾張の……あ」
そして漸く気が付いた。
自分は『時の井戸』に落ちたのだ―――と。
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