時の井戸

□切除
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「有難き…」
「待て…綱元殿!!」

輝宗に目礼した綱元を呼び止めたのは小十郎。
その頬には梵天丸の血がこびりついている。

「某が湯殿で若から目を離した隙に起きた凶事。責任は某にある」
「しかし…」

「殿。某に―――若の目を切り落とす罪を科して戴きたく」

主君に刃を向けるという罪。
傷を付ける罪。
それを一生涯背負って行きたいのだと、小十郎は言った。

「…綱元、それでよいか?」
輝宗が痛ましげなそれを主君の瞳に転じて問う。

「…御意」
綱元は小刀の柄を小十郎へ差し出した。
「小十郎…無理はしていませんか?」
「…気遣いは無用。時は一刻を争う。殿、鬼庭殿、血が飛びます故お下がり下さい」
小十郎が二人を制す。
二人は、何も言わずに壁際まで下がった。

「綱元殿、動かれぬように若を押さえていて頂きたい」
「承知した」
綱元が目からそっと手を退けて、梵天丸の両の肩を掴む。
それを確認して、小十郎が血塗れの布をはぐった。
大分出血は収まったが、まだじわじわと染み出すような血が抑えを失っては流れ出て来る。

「…っ」
血を拭きながら小刀を向けるが、位置が定まらない。
気持ちだけが逸る。
「喜多、ここを…」

「俺が拭く」

小十郎の隣に小さな影が座る。
「吉法師…?」
「俺だって…この位の事は出来る」
小十郎から布を奪い取ると、梵天丸の目を押さえる。
じわりと血が滲んでいくのに、妙な悪寒と身震いを覚えた。

死んでしまったらどうしよう。
梵天丸が死んでしまったら―――
不吉なことばかり頭に浮かぶ。

「吉法師、もう良いぞ。手を退けてくれ」
小十郎の声にはっとした。
ゆっくりと手を退けると、無残に抉れた目玉が、肉にぶら下がっているのが見える。
深く刀を刺し過ぎた為、目蓋の奥の肉まで抉っていた。
手に力が入らなくなりそうな弱腰の自分を心中で叱咤する。

自身に刃を向けた梵天丸はもっと怖かった。
今から大切な主人に刃を向ける小十郎はもっと怖いんだ。
これしきで動転していては、後で梵天丸に笑われてしまう。

「…っ」

ぐっと抉られた眼球の付け根に刃の先が潜り込むと、気絶している筈の梵天丸の体がびくりと跳ねた。
「!!」
小十郎が一旦手を引く。
綱元が瞬時に押さえ込み、頭を固定した為、大事には至らなかった。
だが、梵天丸の小さな体は痛みから逃れようと暴れ、言葉にならない壮絶な悲鳴が上がる。

「若!!もう暫く!!暫くの辛抱ですぞ!!」
良直が檄を飛ばす。
喜多は見て要られぬと廊下へ下がった。

「頑張れ…梵天丸…っ」
吉法師は暴れる両手をぎゅっと抑える。
「大丈夫ですか?小十郎」
痛みに舌を噛まない様にと、梵天丸の口の中に結び目を作った布を差し入れながら、心配そうに綱元が伺う。

「……二人とも。確りと若を抑えていてくれ」

緊張が走り、再び小十郎が小刀を梵天丸に向ける。

「…っ…んん…―っ!!!!」
梵天丸のくぐもった悲鳴だけが部屋に満ちる。
吉法師は見ていられずに目を閉じた。


「若…っ…直ぐに終わらせます故………御免!!」

続く

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