別世界の扉 ワンパンマン
□high and low
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玄関の扉を開くと、すぐに「お帰りなさい、先生」と声がして、ジェノスが顔を出す。
「あ、えと……た、ただいま」
妙に緊張する。
さっきまではこれで大丈夫、なんて思っていたが。
本当にそうだろうか?
台所に差し掛かると、あの高級なチョコレートが思い浮かんだ。
どう考えても比べ物にならない。手にした紙袋をつい、背中に隠してしまう。
「……先生?」
「な、何!?」
金色の瞳が小さな音を立ててサイタマを見つめる。
「今、何を隠されたのですか?」
「へ? なんでもな……わ!?」
狭い廊下の壁に押し付けられる。すぐにジェノスの端正な顔が近づくと、眉間の皺が深まる。
「先生からチョコレートの香りがします」
「え」
ばれた!!
そう思った瞬間、サイタマは顔に血が上るのが分かった。
こうなったらもう、恥を忍んで渡すしかない。そう思って右手を背後から出そうとした時。
「まさか出先で誰かから貰って……食べたんですか?」
絞り出すような声だった。
「は? 何の話……」
「先生の呼気から、チョコレートが香っています。今日は男性が一番チョコレートを買い辛い日。それに明日になれば安売りすると分かっていて、サイタマ先生がご自分で買うはずがない。ならば誰かから貰ったとしか……まさか地獄のフブキが?」
ジェノスの想像力は相変わらず逞しいな。そう呆れつつも、ばれていない事にサイタマが安堵していると、その表情をどう勘違いしたのか、ジェノスが悔しげに奥歯を噛み締める。
「誰ですか?」
「ばーか。そんなの」
ある訳ないだろ。そう続けようとしたサイタマの言葉は、ジェノスの口腔に吸い込まれ消えた。
「……ッ」
全てを舐め尽すような舌の動きに、軽くえづきそうになって、漸く開放される。
「……やはり、口内からチョコレートの味がします」
「あ、あのなぁ!! お前、ちょっと落ち着いて俺の話を」
「誰ですか?」
聞く耳持たぬといたジェノスの態度に、深いため息を吐く。
「誰でもない……っと!」
答える気がないなら塞いでしまえと言わんばかりに近づく顔を、左手で拒む。
「!」
「そう何度もお前の好きにさせるか」
ぎりぎりとこめかみを締め付けながら押し返すと、背後に隠していた紙袋をおずおずと見せる。
「逆光堂の紙袋が何か?」
「……中見ろ」
未だ腑に落ちないといった顔で、ジェノスはそれを受け取る。
中にはアルミホイルの塊が見えた。開けばトリュフが転がり出る。やはりチョコレートを貰ったのだと、再度問い詰めるべく口を開こうとした瞬間、その口内にカカオが香った。
「……ッ!?」
先ほどのサイタマから味わったものと同じ味がした。
手作りなのは一目瞭然。味は悪くはないが、明らかに安物の板チョコを溶かして作ったコレが、自分の贈ったものよりも先に、サイタマに食されたというのが悔しかった。
「……どう?」
指先にココアをつけたまま、気まずそうな顔で問うサイタマが、顔を赤らめて感想を聞いてくる。
その仕草が可愛いと思うと同時に、嫉妬の波にのまれそうなジェノスは、「どう、とは?」としか答えられなかった。
「えっと……口に合わなかった?」
サイタマの表情が僅かに曇ると同時に、ジェノスの思考が更に混乱する。
サイタマにそんな顔をさせるとは、一体これは誰の手によるものなのか。しかもそれをジェノスにまで食させてどうするのか。
まさか、告白と同時に渡されて承諾した?
それで自分に相手を紹介する手始めに食べさせた?
どこの馬の骨とも分からない奴に、サイタマ先生が奪われるなんて!
ジェノスの妄想はエスカレートしていくばかりだ。
「それ……俺が、作ったんだけど……」
「先生! 俺のこの目が黒いうちは誰にも先生を渡す気は……は!?」
二人同時に発した言葉は、とりあえずジェノスの耳には届いた。
「これ、先生が作ったんですか!?」
「うん、そう。お前、凄い高価なもん贈ってくるから、どうしようって考えたら手作りしか思いつかなくって……」
照れ笑いを浮かべて、指先に残ったココアを舐める。そんなサイタマと、手の中のアルミホイルを何度も見比べているジェノスの反応がまた面白くて、笑いが零れた。
「いつもありがとな。そんなモンで悪いけど、一応自信作。良かったらオプションで食わせてやろうか?」
無邪気な笑みを一変、悪戯な笑みを浮かべてそうからかえば、何処かで蒸気が漏れるような音がした。
「是非! できるなら口移しでお願いします!」
「調子に乗るな」
額をぺちりと叩く。その手を捕まえてジェノスは漸く安堵の笑みを浮かべた。
「本当に、心配したんですよ」
「……そんな心配、要らねぇつの」
馬鹿弟子。
その言葉は声にならなかった。
重ねた唇は、どちらも同じチョコレートの味がした。
了