DDFFの篭

□君がいた夏
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〜君がいた夏〜


 (1)


七月も半ばを過ぎ梅雨も開ければ、本格的な夏の始まりだった。
昼下がりの強い日差しの中、出先から会社に戻る途中のラグナは、会社の三ブロック手前にある公園に入った。小さいながら中央に噴水のある公園は、昼休みともなれば若いOLやサラリーマンで賑わう。しかし一番暑い盛りの今は、木陰のベンチに腰掛けたラグナ以外、誰の姿も見えなかった。
ラグナはネクタイを軽く緩めると、さっきコンビニで買った缶コーヒーを開けてゴクリと飲んだ。



ラグナ・レウァールは、今年で三十歳になった。
職業は、中堅出版社の編集員。
ちょうど若手とベテランの間の位置で、上には若僧扱いであしらわれ、下には突き上げられる辛い役どころ。そして、実年齢でも若者とおじさんの境に位置している。
理想を無くした訳ではないが、現実も十分見えて気軽に夢など語れない。そつなく仕事をこなせるようになったが、冒険はできない。
なんとなく日々に流され、ラグナは不完全燃焼な思いを胸の奥に抱えたまま、毎日を過ごしていた。



ラグナはもう一口コーヒーを飲むと、コンビニの袋に手を入れて小さな四角い缶詰を取り出した。
そしてベンチから立ち上がり、後ろの茂みに小声で呼びかけながら近付いた。
「スコール。出てこい、スコール。」
だが、茂みはしんと静まったままだった。
「スコール、餌だぞ。」
重ねて呼びかけたラグナに、後ろから遠慮がちな声がかけられた。
「あの〜、ゴメン。”スコール”ってここに居た猫のことかな?」
「え?」
驚いて振り返ったラグナの前に、一人の青年が立っていた。
強い日差しを浴びて輝くプラチナブロンドの髪に、焼けた小麦色の肌が映える。困った表情を浮かべたその青年は、申し訳なさそうに頭をかいた。
「さっきオレ、ここに座ってたんだ。で、茂みから出て来た猫にちょっかい出したら、逃げられて・・・。」
「ああ、そうだったのか。スコールは、警戒心が強いからな。」
頷くラグナに、青年はペこりと頭を下げた。
「ゴメン!餌まだだったんだな、あいつにもあんたにも悪いことした。」
その歳の割には幼く真摯な謝罪に、ラグナは笑って首を振った。
「いや、別にいいさ。あいつは野良だし、俺だっていつも餌をあげてる訳じゃない。」
「そうなんだ。」
まだすまなそうな顔をする青年の肩を、ラグナは軽く叩いてベンチに座った。
「気にすんなって。俺は、ラグナ。この先の出版社に勤めてる。」
ラグナにつられて青年もベンチに座ると、自己紹介した。
「オレはヴァン。大学二年生の二十歳だけど、今はもう夏休み。」
「そっかぁ。学生さんはいいな。」
その言葉に「へへ」と笑ったヴァンは、ラグナの持っていたコンビニの袋をひょいと持ち上げた。
「夏休みの間、このコンビニでバイトするんだ。よかったら来て。」
「そうなのか。言われなくても、俺はあの店の常連だよ。」
「へ〜、じゃあまたラグナと会えるな。」
そう言うとヴァンは、ラグナの顔を覗き込んでふわりと笑いかけた。


不意に近付いたヴァンの無邪気な笑顔に、ラグナはドキリとした。
ヴァンの輝く笑顔は、キラキラと輝く悪戯な木漏れ日のようで、その瞳は夏の青空のようだった。まるで色鮮やかな光を、疲れた心に投げかけられた気がして、ラグナは二、三度ぱちぱちと目を瞬かせた。
「そうだな。また行くよ。」
ざわめく心に、ラグナはぎこちない笑顔で返事した。
「うん、待ってる。」
ヴァンは嬉しそうに言うと、身軽くベンチから立ち上がった。
「じゃあ、オレ時間だから行くよ。またな、ラグナ。スコールによろしく。」
「ああ。」
口の中でつぶやくように返事するラグナから、ヴァンは軽やかな足取りで遠ざかって行った。
ラグナは、その後ろ姿が視界から消えるまで、ずっと目が離せないでいた。





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