二の篭(バルヴァン文)

□翼のない小鳥
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バタンと叩き付けるように閉まったドアの音とともに、アルシドは深々とソファに座り込んだ。
そっと頬の傷に手をやり、疼くような痛みに苦笑いを漏らした。
「私としたことが、何をやってるんだか・・・。」
今すぐに追いかけて行って彼女の細い腰を抱いてかきくどき、あの艇を差し出せば済むことだった。そうすれば、今夜はあの魅惑的な身体を思う様抱けることだろう。
そのために、この何ヶ月か時間を費やして彼女をくどいてきた筈だったのに、今はどうでもよかった。
その代わりに、何か子供の頃になくした大事な宝物を、手に入れた気分だった。
「さて、あの最高の翼をどうしましょうか。」
アルシドはそう呟くと、くつくつと笑い出した。そしてソファから身を起こし、そっと下の会場を覗き込んだ。会場は、まだ飛空艇が高額で競り落とされた余韻が冷めておらず、ざわついていた。
その中でヴァンも、興奮した面持ちで隣のバルフレアに何事か話しかけている。会場のざわめきで聞き取れないのか、お互いの耳元に唇を寄せて話し合う姿が、仲睦まじ気だった。
その姿に幾分嫉妬めいた思いを抱きながら、アルシドは再びソファに身を沈めた。
「いつか渡せる日がきますかねぇ。」

あの少年に。
空が似合うあの少年に、最高の翼を与えてやりたい。
うんと高く、速く、遠くまで飛べるように。

たかが一度会っただけの少年に、何故ここまで入れ込んでしまったのか。目の前の美女を振ってまで。らしくない行動が、自分でも不思議だったが、気分はすこぶる良かった。
「ちゃんと帰ってくるよう躾けるのに、骨が折れそうですねぇ。」
アルシドはテーブルのグラスに手を伸ばしながら、楽しげにその日に思いを馳せた。そしてその夢想は、落札の手続き書類を持った係員がドアをノックするまで続けられた。




オークション会場は、先程の落札のざわめきがようやく静まりかけていた。
それに、今日の目玉の競りが終わったことで席を立つ者達も多く、会場は空席が目立ち始めていた。
「どうする?まだ見るか?」
ぞくぞくと会場を後にする客達を見て、そう問いかけたバルフレアに、ヴァンはまだ上気した顔でコクンと頷いた。
「どうせなら、最後まで見たいんだ。かまわない?」
「ああ、いいさ。」
軽く頷いたバルフレアに、ヴァンは嬉しそうに笑って前の席の背もたれに頬杖をついた。前の席のビュエルバ紳士は、既に会場を去っていた。
すると、いつものベストでなくオークションのためにシャツを着たヴァンの背中が、バルフレアの前に無防備に晒された。
その薄い白いシャツの下で、ヴァンの背中の肩甲骨は盛り上がり、しなやかな隆起を描いていた。まるでそこから小さな翼が生えてきそうで、バルフレアは一瞬息を飲んだ。

幼い頃、肩甲骨はヒュムが昔は翼を持っていた時の名残りだ―――という話を聞いたことがある。
そして、それを信じたある少年が手作りの翼を背中につけ、空を飛んだという御伽噺のような話も。

ヴァンがまるでその少年と重なるような気がして、バルフレアはヴァンの背中に目が釘付けになった。
ヴァンの微かな呼吸で上下する背中。まだ飛べない小鳥が、羽ばたきを練習するような動きに見えて、バルフレアはそっと手を伸ばすと、その隆起する背中を指先で撫でようとした。
その時、ヴァンが振り返らないまま言った。
「なあ、さっきの飛空艇を落札したのって誰だろう?」
バルフレアは伸ばした手を握り締め、平静を装って答えた。
「さあな。どうせ、どこかの収集マニアのアホ貴族だろ。」
「匿名で落とせるVIPだから、どこかの王族かもしれないわね。」
フランも興味ありげに話に入ってきた。
「そうか。その人は、あの艇をちゃんと飛ばせるかな?」
不安げに振り返ったヴァンに、バルフレアもフランも首を振った。
「それは無理ね。あんな癖のある艇は、そうそう乗りこなせないでしょう。観賞用ってとこかしら?」
「でなければ、投機目的で転売されるかだな。」
二人の言葉に、ヴァンはがっかりした顔になった。
「アレが空を飛ばないなんて、残念だな・・・。」
しょんぼりしたヴァンの背中の翼が、失望と同時に小さくなった気がして、バルフレアは握り締めた拳を解いて、ヴァンの髪を掻き混ぜた。
「縁があったら、また出会えるさ。案外、何年か後には、お前の艇になってるかもしれないぞ。」
「そうかな?だったら、シュトラールと競争できるな!」
持ち前のいつもの気楽さで、ヴァンはすぐに笑顔を取り戻した。
「それは、楽しみね。」
フランが銀の髪を揺らして笑った。
「その前に、艇の操縦法を覚えないとな。」
からかうバルフレアに、ヴァンはフンと鼻をならした。
「見てろって。いつか『最速の空賊』はオレの称号にしてやるんだ。」
ヴァンはニカッと悪ガキの笑みを浮かべると、また頬杖をついてステージへ視線を向けた。ステージ上では、次の品のエアーバイクが登場し、新たな競りが始まっていた。
バルフレアは椅子に座りなおしてステージに顔を向けながら、視線の隅でヴァンの背中を見た。
その背中には、いつか大空を翔けるだろう小さな翼が、静かに息づいていた。




〜FIN〜



(2012/2/25)

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