二の篭(バルヴァン文)

□翼のない小鳥
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ヴァンがステージの飛空艇に心を奪われていた時、同じく桟敷席の女空賊も瞳を輝かせて見入っていた。
「さすが”伝説の名匠”ね。一世紀前の艇だなんて思えないわ。」
溜め息まじりに呟きながら、彼女は桟敷の手すりから身を乗り出しようにして艇を見詰めていた。
「だが、あれは貴女と同じで手強そうですよ。」
アルシドはソファに深く身を沈めたままで、クスリと笑って揶揄した。
「それは、褒め言葉と思っていいかしら?」
女空賊は、勝気な黒い瞳を輝かせながら、アルシドを振り返った。
「もちろん。」
アルシドは、胸に手を当てて軽く頷いた。その様子をつんとした表情で見た女空賊は、どんどん釣り上がる落札値を聞きながら小さく首を傾げた。
「ねえ、アルシド。さっきの約束を覚えているわよね。」
彼女は肩にかかる長い黒髪を後ろに払いながら、アルシドの方へと身を寄せた。
「欲しいものがあれば、買ってもらう―――というヤツですか?ええ、覚えてますよ。」
アルシドは、艶やかな美女の肩をゆっくりと撫でながら言った。
このVIP専用の桟敷席には、特別に匿名で入札できるようにコールボタンが置かれていた。それを使って金額をコールすれば、ステージの案内係へ伝わるしくみになっていた。
そのボタンをチラリと見た後、女空賊は更にアルシドの方へと身体を寄せた。
「どうやら私、欲しいものできたみたい。」
彼女は、下からすくい上げるようにアルシドの顔を見ながら艶然と微笑んだ。
「今、ステージにある飛空艇でなければ、いいんですけどねぇ。」
アルシドは、彼女の肩を撫でていた手をそっと背中にすべらせながら、尋ねた。すると女空賊は、楽しげな笑い声をたてて首を振った。
「いいえ、あの艇よ。ダメなんて言わないでしょう?」
女の甘い香りと柔らかな身体の温もりに、アルシドは苦笑をもらした。美しい女というのは、本当に業の深い生き物だ。アルシドは艇を良く見ようと、ソファから身体を起こして下のステージを覗き込んだ。
すると、ステージ近くの席に座ったヴァンが自然と視界に入った。
ヴァンは、前の座席をつかんで身を乗り出すようにして、艇を見ていた。
前の席の男の迷惑そうな様子や、宥めるように肩を抑えるバルフレアに構わず、すっかり目の前の艇に心を奪われているようだった。今にも席を立って、あの艇に駆け寄りそうな勢いだ。
アルシドは、クスリと笑いを漏らした。

どう転んでも、あの少年が手に入れられる代物ではないのに―――。

だが、ヴァンは全身で「あの艇が大好きだ」と叫んでいるようだった。そのひたむきなまでの想いが、遠いこの席にいても感じ取れた。
競りは、アルケイディアの飛空艇収集マニアとビュエルバの大富豪の子息との一騎打ちとなっていた。二人の内どちらの手に入っても、あの飛空艇が本来あるべき姿で空を翔けることはないだろう。
そう考えた時、不意にアルシドの中に強い怒りの念が芽ばえた。何事も飄々と世の中を渡ってきたこの男にとって、らしくない強い感情だった。
「すごいわ、アルシド・・・!」
女空賊が驚いてその目を見開いたとき、アルシドはこの飛空艇に付けられていた二倍の額をコールしていた。会場が大きくどよめき、それまで競り合っていた二人は、無念そうに手を下ろした。
案内人が、勢い良く木槌を打ち鳴らす。そして、アルシドの落札が決まった。



「素敵、素敵、アルシド!」
女空賊は嬉しそうに笑いながら、アルシドに抱きついた。アルシドの首筋に興奮で上気した顔を埋めながら、甘さを漂わせた声で囁いた。
「あの艇を競り落とすなんて、やっぱりアルシドは頼もしいわ。私のためにこんな・・・、ああ!何をお返ししたらいいかしら?」
思わせぶりに指先でアルシドのシャツのボタンを撫でながら、彼女は艶っぽい眼差しでアルシドを見上げた。
そんな彼女に微笑みながら、だがアルシドはやんわりとその身体を押し返した。
「アルシド?」
身体を離されて不思議そうに問いかけた女空賊に、アルシドはするりと立ち上がって丁寧にお辞儀をした。
「残念ながら、あの艇は貴女のために買ったのではありません。」
「どういうこと?」
たちまち彼女の柳眉が釣り上がった。
「ですから、あの艇は貴女には差し上げられな・・・」
アルシドの言葉の途中で、ビシリと女空賊の細い手がアルシドの頬を打った。怒りに震える彼女の姿は、まるで女豹のように猛々しく、そして美しかった。
「私でないなら、誰にあの艇をあげるつもり?まさか、貴方が乗るわけじゃないでしょう。」
彼女は、凄みのある低い声で言った。
「ええ、私にはあの艇に乗れません。でも貴女にも、あの艇は相応しくない。」
アルシドはぶたれた頬を撫でながら、首を振った。彼女の指輪のせいで、頬がわずかに切れていた。
その傷跡に手を伸ばすと、彼女はわざとえぐるように爪をたてた。アルシドの顔が痛みに歪むのを、怒りで光る瞳で睨みつけながら、彼女は言った。
「あの子でしょう。あの綺麗なプラチナブロンドの少年に買ってあげたのでしょう。」
彼女の瞳が、憎悪とも言える色に煌いた。
「馬鹿みたい。アルシド殿下ともあろう人が、あんな少年が趣味だったなんて。こんな屈辱を受けたのは初めてだわ。私は、絶対に貴方を許さないから!」
女空賊は忌々しそうにそう言い放つと、指先についた血をアルシドのシャツになすりつけた。
そして、くるりと踵をかえすと、足音高く桟敷席を出て行った。



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