鳥檻のセレナーデ
□28幕.饅頭味
16ページ/18ページ
G o o d n i g h t m a r e_
少年の意識が途絶えたのと同時に、男は別の気配を感じていた。
前にいる少年ではなく、背後から感じる視線。男にとっては馴れ親しんだ気配であり、また愛しいとさえ思っている連れのもの。
「――イヴ、待ってろっていったろ?」
「………な、んで」
もっとも、できる事なら別の場所で合流したかった。
背後にいる連れは――イヴは、たった今殺した少年の事を気に入っていたから。初めての友達として、家族以外で好意すら寄せていた。
だからこそ、振り返った先にいたイヴは身体を震わせ、瞳には涙まで浮かべていた。
「なんで……なんでアレンを殺したのッ、ティキ!」
叫ぶような声と共に駆け寄っては、男の体躯へと腕を振り翳していく。
瞳に涙を貯め、批難するかのように声を荒げ、男の胸を叩いていく。
男の能力を持ってすれば、少女の手を避けるなど事造作もない事。まして取り乱しているとなれば、能力を使わずして躱す事もできるだろう。――だがそれでも、ティキはあえてイヴの行動を受け止めていた。
「アレンは友達だったのに……っ、初めてできた友達だったのに! 何で殺さなくちゃいけなかったの! イノセンスだけ奪えば良かったじゃないッ!!」
「イヴ、落ち着けよ」
更に刺激しないようにと、できるだけ落ち着いた声で話し掛けていく。少年に向けていた笑みとは違う、困ったような苦笑を浮かべて。
「こいつはエクソシストで、俺達の敵だ」
例えもしこの場にイヴが現れなかったとしても、いつかは彼女の耳に入っていただろう。少年の名は元々カードに書かれていたし、エクソシストである手前こうなる運命だったと言っても過言ではない。
「イノセンスだけを破壊したとしても、敵である事には変らない。もしかしたらまた別のイノセンスに適合するかもしれない」
その時が来たら、少年の死を知ったなら、イヴは取り乱すとも分っていた。――分ってはいたが、正直ここまでとは思っていなかった。
咎落ちの時でさえ、酷く怖がっていたとしても、涙を見せる事はしなかったイヴ。そんな彼女が、たった一人の少年の為に泣きじゃくり、そして取り乱している。
……ともなれば、少なからず男の胸に黒い靄ができてしまうのも無理はないだろう。
「お前は、俺達家族と友達。どっちが大切なんだ」
「……っ」
我ながら卑怯な質問だと思う。
それでも、この少女には選んで欲しかった。
否、選ばせなければいけなかった。
家族の為に、少女の為に……自分の為に。
「――ご、めん」
暫しの沈黙の後、叩いていた少女の手が止まる。
同時に零れた謝罪に、ティキの心臓が小さく不安を露にした。
その言葉はどう言う意味なのか、そう尋ねようと口を開く。――が。
「……ティキは、千年公からの仕事をしただけなのに……」
ティキよりも先にイヴの声が周囲を震わせ、更に叩いていた身体へと顔を埋める。「殴ってごめん」と、ティキが知りたかった真意を言葉にしながら。
「いいよ」
そう告げるティキの声にこそ変化は無かったものの、内心大きな安堵感と共に喜悦を感じていた。
友より家族(を選んだ事に。例え記憶がないとしても、自分達を――自分を選んでくれた事が何よりも嬉しい。
「もう大丈夫か?」
「……うん。アレンに、お別れしてもいい……?」
ティキもまた小さな身体を強く抱きしめると、イヴから遠慮がちな声が零れる。
恐らくエクソシスト相手に……と、言われると思ったのかもしれない。
少々"薬"が効き過ぎてしまった事に微苦笑を浮かべるものの、直ぐに首を縦へと動かす。
最後の最後で役にたってくれたのだ、少し位なら多めに見るべきだろう。
「――アレン……ごめんね」
ティキからそっと離れては、アレンの隣へと両膝をつけるイヴ。
「もっと色々、話しとけばよかった……」
言葉と共に腕を伸ばし、倒れているアレンへと身体を寄せる。
強く抱きしめるものの、それでも、昨日のようにアレンから反応が帰ってくる事はなかった。
名を呼ぶ事も、頬を赤らめる事も、慌てる事すらしないアレン。――これが、"死"。
死んだ者は決して生き返らない。何も出来ない。その事実が、今更ながら重く圧し掛かってくる。
――別れがこんなに辛いなら、いっそ出会わなければ……。
「…………違、う」
一瞬脳裏を過ぎった言葉に、軽く頭を左右へと振る。
確かに、出会わなければこんなに苦しむ事もなかったかもしれない。だが、出会わなければ一緒にいた思い出すらなくなってしまう。彼が生きていた証すら、なくなってしまう。
それは別れよりも辛くて、悲しい事。
「ごめんね……」
本当は「ありがとう」と伝えたかった。
出会えた事に。話し掛けてくれた事に。笑いかけてくれた事に。
でも、自分にはまだその言葉を言う勇気はなくて。自分はまだ、その言葉を伝える程心が成長できていなくて。
だから――ごめんなさい。
ありがとうと言えなくて。また会おうと言う約束を破ってしまって。家族を選んでしまって。
「ごめんね、アレン……っ!」
――おやすみなさい。
その声は、酷く優しくて。
そして、悲しい声だった。