鳥檻のセレナーデ

□28幕.饅頭味
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32★Good nightmare



「――ぁ、アレン・ウォーカー」



名を呼ぶ男は不敵に笑い、名を呼ばれた少年は瞳を開いていた。

何故、この男は自分の名前を知っているのだろう。確かに先程一度だけ尋ねられたが、返答した訳ではない。否定をしなければ肯定すらしていない筈。だというのに、この男は確かに断言していた。



「ぐッ!?」



そうアレンが顔を顰めたのと、男の手が首を掴んだのは、ほぼ同時だった。
片手だけでアレンの首を締め上げては、地面へと座り込んでいた身体を無理やり持ち上げる。
咄嗟に腕を振り払おうと力を入れるものの、疲労困憊した身体は言う事を聞かない。寧ろ、限界だと告げるかのように悲鳴すら上げているかのようだった。



「正〜解でございまぁ〜す」



そんな中、唐突に第三者の声が響き渡る。
男とはまた別の飄々とした声。いや、人をおちょくっているような声と言うべきか。



「こぉ〜いつが、アレン・ウォーカァ〜」



その声は男の隣――空中に浮いているカードから聞こえてきていた。
一見トランプのにも見えるカードだが、声が聞こえる手前、蝶同様に普通ではないのだろう。



「デェリィトォ〜」



男の顔横にまで浮かび上がったかと思えば、クルリと半転するカード。それによって見えた背表紙の裏は、まさに牢獄だった。
鉄格子が嵌められた狭い空間。
壁一面、不規則に書かれた名前。
その中央には、鉄球つきの足かせをつけ、囚人服を纏った小人の姿があった。

無気力な声を出したのは、その小人だった。同じ言葉を連呼するソレを横に、チラリと男の視線が動く。暗殺リストとなっている壁へと。そこに書かれている名前の一つへと。

空気が震えたのは、その直後の事だった。



「――」



乾いた軽音の後、ドサリと二つの落ちる音が木霊する。
一つは、アレンの身体が落とされた音。ティキの手が離れた事で、背中から地面へと倒れる傷だらけの身体。
もう一つもまた、アレンのものだった。――いや、アレンの身体についていたもの、と言ったほうが正確だろう。



「知ってた少年?」



自分の身体から離れ落ちたソレに、アレンは地面に倒れたまま視線を向ける。
今まで自分の身体の一部だったもの。共に育ち、共に戦ってきたもの。そして、左手と共に切り落とされてしまった――イノセンスへと。



「イノセンスって破壊できんだよ。俺等ノアの一族と千年公はね」



スッと、地面に落ちた左手へと陰が映る。自分ではない長身の男の影。明らかに敵意を持つ男の影が、徐々に左腕へと迫り行く。



「やめろ……」

「今まで奪ったイノセンスは全部壊してる」



左腕を切り落とされ、愕然としていたアレンから小さな言葉が零れる。

痛みを訴える声ではない。不思議と、切断された事への痛みは無かったから。血が噴き出る事もなければ、地面を血で濡らしてすら居なかった。

殺される事への恐怖でもない。何故かは分らないけれど、今のアレンには"死"への恐怖はなかった。全く無かった訳でもないのだが、それでも雀の涙程度だったから。



「"ハート"だったらお前等持っているイノセンスが全部壊れる。それがあたりのサイン」

「やめろ……!」



アレンが声を荒げたのは、不安の声。今アレンにあるのは、イノセンスを失う事への不安だった。大切な人との約束を取り上げられてしまうと言う、別の恐怖。



「ああ、そうだ。折角だし死ぬ前に一つ、いい事を教えてやろう」



その声色に気がついたのか、不意に男の脚が止まる。腕へと向けていた身体を傾けさせては、倒れているアレンへと緩い笑みを向けた。



「少年もイヴの事が気になってるんだろ。昨日、相当緊張してたみたいだし」

「……なっ」



途端にアレンへと走る驚愕。予期していなかった名前がでただけでなく、昨日の事まで知っている事に動揺を隠す事ができなかった。
それと同時に、先日ブックマンが告げていた言葉が脳裏を掠める。

「イノセンスを所持しているとなると、アクマや教団に狙われる。かと言ってイノセンスを失っていたとしても、やはり変らぬのだ。もしかしたら、もう――動いているかもしれぬ」

アクマの裏にいるのはノア。
もしブックマンの言う事が正しいのなら、ノアもまた何らかの事を企んでいるのかもしれない。そう考えると、一気に思考が焦りへと変化していく。



「彼女に近づくな! 彼女はもう関係無っ」

「関係なら大有りだよ」



アレンの言葉覆うように、男の声が発せられる。
それと同時に、不意に風が動き始めた。これから何かが起こる事を予兆したかのように。



「千年公が異様に彼女に執着しててね。ま、俺も人の事言えないんだけど。で、俺達って欲しい物があればどんな手段を使ってでも手に入れる主義でさ」



ドクンと、アレンの鼓動が高鳴る。
以前ブックマンが言っていた言葉と今の言葉が合わさり、一つの予測が立てられる。

その考えに「まさか」と小さな声を零してしまえば、声を聞いた男の顔に笑みが浮かんだ。
憫笑とも嘲笑とも取れる笑み。
不気味な程に深い笑みを浮かべては、区切っていた言葉を紡いでいく。



「それこそ――殺してでも?」



チリと、アレンの胸の奥で小さな痛みが走った気がした。




「だから、イヴは俺が殺したんだ」




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