鳥檻のセレナーデ

□28幕.饅頭味
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A l l e n = W a l k e r_
勢いからしても、全てが吸い込まれるまでそう時間は掛からなかった。
全てを吸い込んだ事で、暫し自分の手を見つめる男。不意にその掌を上へと向けたかと思えば、ゆっくり大きな蝶が姿を現した。



「まぁまぁ、でかくなかったかな」



先程と同じ黒い翅に、トランプのマークが描かれた二匹の蝶。だが先程とは明らかに違い、その四対となっている翅の中心に王冠を被った髑髏の顔がついていた。まるで王を気取っているかのように。

消えた大量の群、王冠を被った骸骨、急激に成長した蝶。もしかしたら、吸い込まれた蝶は男の中で他の蝶を食らっていたのだろうか。それこそ蠱毒に使われる虫のように、最後の二匹になるまで。



「バイバイ、スーマン」

「――っ!?」



キィキィと不気味な鳴き声を上げる蝶に、男は軽く口付けを落とす。あたかも赤子の誕生を祝うかのような、祝福のキスを。
それと同時に、その親とも言える存在に別れの言葉を告げる。つい今し方、赤子によって殺された親――エクソシストへと、感謝の意味をこめて。

その言葉を聞いた途端、ザワリと少年の気配が逆立った。



「お前、何をした……っ!」



男がノアだという事は判断できた。だが、男が殺したという事までは分っていなかったのかもしれない。
それを今の台詞で悟っては、静まっていた感情がゆっくりと湧きあがってくる。徐々に今の状況を理解しつつ、目の前にいる男を鋭い視線で睨みつけている、と。



「はれ!? お前、いかさま少年A?」

「はっ?」



視線に気が付いた男はシルクハットを上げ、思わず素っ頓狂な声を発していた。どうやら白髪故に、少年を老人だと思っていたらしい。
それが少年である事に驚き、更に少年が"見知った少年"である事に驚愕したのだろう。

何処か場違いな声を上げて驚く男に、少年もまた「A?」と眉根を顰めていた。



「ああ、こっちの俺じゃ分かんないよな。てかお前"アレン=ウォーカー"だろ?」



シルクハットを持ち上げている手と同様に、軽い声色で尋ねる男。
あまりにも飄々とした声であった為、一瞬聞き逃しそうになったが、その声は確かに少年の名を告げていた。――その刹那。

 ―バンッ!



「ふざけるな! スーマンに何をしたっ!?」



少年の項垂れていた左手が振り翳され、男を頬へと直撃する。
それは、少年にとって今持てる力を振り絞った一撃だった。だが、先の戦いで疲労しきった力では、男の頭からシルクハットを落とし、更に頬に薄らと跡を残す事しかできなかった。



「お前が殺したのか……答えろ!!」

「……はは」



しかし、それでも男を驚かせるには十分だったのだろう。殺気だって怒りを露にする少年……アレンを前に、男は小さく笑い声を上げる。

自分に"触った"という事。
少年の手がイノセンスである事。
自分の予測が正しいと確信した為に。



「そりゃ殺すでしょ、敵なんだし。それにイヴの頼みだから」

「――イヴ……?」



不意に男から零れた名前に、アレンの瞳が大きく揺れる。殺気の中に微かな戸惑いが混じったのを、男が見逃す事はなかった。



「まっ、俺の能力知った所で逃げらんないし、教えてやるよ」



煙草吸っていい? と陽気に尋ねる男だが、返答するよりも先に火をつけている。一見飄々としているものの、何処か有無を言わせない雰囲気が漂っていた。



「よく聞けな、少年」



まるで敵対しているとは思えない程気軽に話始める男。その様子に、アレンは一人唇と手を強く握り締める。

男が悠々と説明しているのは、それだけ余裕があると言う事。アレンの疲労を見抜き、また攻撃される事がないと知った上で、あえて説明しているのだ。更に恐怖を植え付ける為に。

悔しかった。事実アレンに反撃する力はなく、また腕を振り翳した所で次は当たりもしないだろう。
情けなかった。正直戦って勝てる見込みもなければ、逃げる力さえ残っていない事が。

――最悪だ。
もっと自分が強ければ。
もっと力があれば。
せめて、スーマンの仇を討てたというのに……!



「――んで、これが俺の能力」

「!?」



まさに手も足もだせない状況に、唇を強く噛締めていた。――その時、突如男の手がアレンの身体を貫通する。



「痛みは無いよ。俺が『触れたい』と思う物以外、俺は全てを通過するんだ」



それはノアだけに与えられた力であり、この男の場合は"万物への選択"なのだという。

全てを通過するという事は、どんな所でもすり抜けられると言う事。
それこそ、今アレンの身体を貫通しているように、人間の体であろうとも例外ではないのだと。



「生きたまま心臓を盗られるって、どんな感じだと思う?」



男の言葉に、ドクンとアレンの心臓が大きく脈打つ。

身体を引き裂かれる事もなく、ただ"触れたい"と思うだけ。たったそれだけで――この男は、いとも簡単に心臓だけを抜き取る事ができる。



「少年も死ぬか?」



鼓動が早鐘を打ちはじめる。感覚は無かったけれど、男が心臓を狙っていたのは分っていた。少しでも力を入れたものなら、いとも簡単に抜き取られるのだろう。それとも握りつぶそうと言うのだろうか。

どちらにしても、今のアレンには抵抗するだけの力は残っていない。振り払う事も、逃げる事すらできない事実に、否応為しに気持ちが込み上げて来る。

それはまさに、"死"を目前にした恐怖だった。
一瞬にして全身を駆け巡る恐怖と絶望。無意識に腕が震え、前を見据えていた瞳が俯き、口からは言葉にならない声が溢れ出しそうになる。

恐らく、スーマンはこの感覚に耐える事ができなかったのだろう。無理やり奥底へと仕舞いこんでいた家族への想いが反応し、そして屈してしまった。

――なら、自分は?



「――」



そう思った直後、アレンは俯いていた顔を上げた。

震える手を無理にでも押さえつけ、声の出そうになる口を強く噛締め、ただ真っ直ぐに男へと視線を向ける。

まるで、恐怖には屈しないというかのように。心までは負けないというかのように。


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