鳥檻のセレナーデ
□34幕.過去を知る者
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イ ノ セ ン ス_
その頃、地上では。
更に探し人であるイヴは、というと。
「……――」
千年公の言葉通り、大した怪我もなく更地と化した地面の上に座っていた。
近くに居たエクソシスト達は皆倒れ込んでおり、逃げようと思えば逃げる事もできよう。だが、イヴの身体が動く気配はなかった。
更地となった地面に座り込み、虚ろな瞳で前を見つめている。
何を見て、何を思っているのか、それは本人にしか知る術はない。――だが、彼女の前にあるものもまた、正確な名称と真意を知る者はいなかった。
《――イヴ》
ペタリと、イヴの前にある"ソレ"から小さな音が聞こえる。まるで氷とも、水晶とも取れる物体。人一人分の大きさを持つその中には、薄らと人の影が入り込んでいた。
《ラビ……神田……》
「!?」
「オイ、何だこれは」
辺りへと静かに響く少女の声。恐らくリナリーのものだろう。
仲間達と、そしてイヴの名を呼ぶ少女の声は、確かに水晶の中から響いていた。
――まさかこの中にいるのか?
そう神田と呼ばれた長髪の青年が顔を顰めると、ペタリと再び水晶から音が聞こえる。同時に水晶の内側から宛がわられる手。人の……少女と思われる手が、まるで抜け出そうとしているかのように動いていた。
信じ難い事だが、やはりこの中にリナリーがいるのだ。
「…………て……」
青年達が仲間の存在を確信した直後、ゆらりと水晶の前にいるイヴの体が動く。
表情こそ背後を向けている為に見ると事はできないが、その動きには何処か違和感があった。
「……れて…………いで」
「イヴ?」
ポツリと、小さな声が聞こえた。空耳かと思う程に、風の音かと誤認しそうな小さな声。実際背後にいるラビは気のせいだと思い、言葉を尋ねるよりもイヴの名を呼んでいた。――だが、直ぐに気のせいではなかった事を悟る。
「いや、だ……」
ドンッと、結晶が音を立てた。
「連れて、行かないで……っ!」
言葉と共にイヴの手が振り上げられ、更に音を響かせていく。一度、二度、三度。
「返、して、リナリーを返して!」
何度も結晶へと振り下ろされる腕。まるで取り上げられた子を返して欲しいと、切に悲願する母親のように。
何時の間にか水晶には紅い水がついていた。あたかも水晶が紅い涙を流しているように、ポタリと地面へ滑り落ちていく。その涙は、よく見ればイヴの手をも赤く染めていた。いや、彼女の手から水晶へと付着していたのだ。
「やめろっイヴ!」
「手が血まみれさ!」
紅い涙。イヴの手から滴り落ちているソレを見て、背後の二人も我へと帰る。神田に強引に水晶から引き離された事で、暫し彼の腕の中でもがき暴れるイヴ。やがて暴れる事自体無駄だと悟ったのか、それこそ泣き崩れる母のように地面へと座り込んでしまった。
「皆を、連れていかないで……! 私を、一人にしないで、……イノセンス……っ」
痛々しいまでの悲鳴と嗚咽。その間に零れた言葉に、青年達はただ顔を顰める事しかできなかった。
その言葉はどう言う意味なのか。
イヴには、これがイノセンスだと分かったのだろうか。
記憶が、戻ったのだろうか。
聞きたい事は山ほどあるというのに、それを尋ねるだけの時間が無かった。
「危険だぞっ、神田!」
「!!」
突如、周囲へと声が響く。それは青年達とはまた別の男性、仲間のマリのものだった。咄嗟に現状を思い出し、各々のイノセンスを構える。――が、その直後。神田の身体が大きく横へと吹き飛ばされていた。
「ユウ!」
「なにうちの姫さん泣かしてんだよ」
神田の姿が消えたのと同時に、再び声が響き渡る。明確な憎悪と殺意、侮蔑まで含まれた声。その声だけで、仲間のものではない事は明白だろう。
「言っとくけど、ソイツ俺んだから。泣かしていいのも、苛めていいのも俺だけなんだよね」
「なに……!?」
神田と入れ替わるようにして現れたのは、長身のノアの男――ティキ。緩い笑みさえ浮かべているものの、その瞳は刺すように鋭い。
「イヴ、直ぐ終わらせっから、もうちょっと辛抱な」
「――ティ……キ……?」
もっとも、それも敵である青年達だけに向けられるもの。背後のイヴへと掛ける声は何処か心配気であり、またイヴからも微かな反応が現われる。
その事に、ラビは否応無しに顔を顰められる事しかできなかった。
親しげに話すノアと、微かながらにも反応を見せるイヴ。嫌な不安が胸中に渦巻く。何故かは分らないけれど、ふと唐突に、以前師が述べた言葉が脳裏を横切った。
――既に、どちらかが動いているかもしれぬ。そう危惧していた言葉が。