鳥檻のセレナーデ
□34幕.過去を知る者
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33★過去を知る者
回 SiDE:イヴ 回
声が聞こえた。何処か遠くから。でも、凄く近くから。
誰の声だろう。そう思って瞳を開こうとした時、ちゃぽんと、雫が落ちる音が聞こえた。
(ここ……)
水音に背中を押されたように、ゆっくりと瞑っていた瞳を開く。暗闇に包まれていた世界が終わり、替わりに見えてきたのは……不思議な場所だった。
雲や星一つない夜空。いや、最早暗闇というべきだろうか。とても暗いのに、でも、何処か明るく感じる。一つだけポツンと浮いている白い月のせいかな。
それに、変な感覚だ。見渡す限り荒廃が広がっているというのに、何処か、凄く狭く感じる。
(どこ……?)
違和感を感じる空間。不思議な世界。その中を軽く見回して、漸くここが夢なのだと気がついた。
私の足元にあるのは地面ではなかったから。本来、私では立つ事のできない湖の上だった。
私の視線の先には彼がいたから。本来居る筈のない人。つい先日、その命を強制的に閉じられてしまった少年、だった。
「アレ、ン……」
私の視線の先。湖の辺に彼はいた。自分の意志で動き、足元に屈み、湖の中を覗いている。彼が動いているという事は、現実ではありえない。だから、ここは夢の中なのだろう。
夢の中でしか会う事のできなくなってしまった存在。それがとても悲しくて、強く自分の手を握りしめた。
「――! だめっ!」
その直後、私は目の前の光景に叫び声をあげていた。
湖の淵で、眼下に広がる水面へと手を伸ばしていくアレン。何故かは分らないけれど、それに触れてはいけない。この湖に触っていけないと思った。恐ろしい事が起こると。
だから駄目だと、叫ぶようにしてもう一度声を荒げる。
「え……イヴ? ――っ!?」
その声が届いたのか、湖を見下ろしていたアレンの顔が私へと向く。驚いたように名前を呼び、驚いたように瞳を見開いた。――その刹那。
突然、湖の中から黒い手が現れた。
『ダ……メ』
まるで止めるようにアレンの腕を掴む手。同時に声が聞こえた。私でもアレンでもない、第三者の声。その声に、ドクンと、私の心臓が大きく高鳴る。
初めて聞いた声。
でも、何故か懐かしい声。
私は――あの声を、知ってる?
「っ!?」
何故か早鐘を打つ自分の鼓動に首を傾げると、不意に背後から音が聞こえてきた。
まるで何かがひび割れるような、逆に凍っているようにも聞こえる音。
その音に釣られるように背後へと視線を向ける。――と、湖が奥から急速に凍結し始めていた。尋常とは思えない速度で迫りくる異変に、当然恐怖が押し寄せてくる。
――早く上がらないと……!
上に立っているとは言え、水に面している事に変わりは無い。このままココに居たら、数秒と立たないうちに凍り付いてしまうだろう。
背後から追われているという恐怖に駆られ、陸地へ上がろうと脚を動かそうとした。――けれど。
「……っ!?」
私の足は、その場から動く事はなかった。既に凍り付いていた訳ではない。アレンのように掴まれていた訳でも、沈んでいた訳ですらなく。ただ――竦んでしまった。
足元に浮かぶ白い陰に。まるで私と対になっているかのように、湖の中に居るソレに。
「いっ、いやぁぁああっ!!」
それは夢に出てくる"あの"白い人影だった。
その陰がユラリと動く。アレンと同じように、私を捕まえようと腕を伸ばしててくる。そこに壁等ないかのように、湖すらないかのように。
アレンとは違い、緩々と伸びてくる白い手。それでも、言い表しようの無い恐怖が込み上げて来る。
――嫌、だ……っ!
何も思い出したくない。
何も知りたくない。
私はこのままでいたい。
皆を失いたくない。
――怖い、怖い怖い怖いッ!!
「いやぁああぁぁあっ!!」
優しく暖かい筈の光。でも、今の私には恐怖でしかない。
"私"という影を消そうとする光。
"私"は"私"ではないと告げる影。
抑えきれない程の恐怖に悲鳴を上げる。脚を動かす事も、身を捩る事もできず。ただ、ゆっくりと私へと伸びてくる手に怯えるしかできなかった。
「イヴッ! クソッ離せ!!」
不意に、遠くからアレンの声が聞こえる。振り払おうとしているような、切羽詰ったような声。
聞き覚えのある声が聞こえた事で、漸く少しだけ視線を動かす事ができると、アレンが私へと腕を伸ばしていた。
「イヴっ!! こっちへ!」
「ア、レン……ッ!」
自分とて腕を掴まれているというのに、それでも私の心配をしてくれるアレン。その光景に、自分の手を握り締める。震える手に力を篭め、意を決したように一歩前へと脚を踏み出させる。
意外にも、私の足はすんなりと動いた。アレンが前に居てくれるからかもしれない。そう思うともう片方の脚も動きだして、駆け出そうと足元の地面を蹴り上げる。――けれど、その時にはもう、遅かった。
アレンの腕を掴むよりも早く、湖から伸ばされた腕に掴まれるよりも早く、凍結が足元へと到達していた。
「イヴーーっ!!」
脚を氷に絡め取られ、急速に身体が氷付けにされていく。アレンの大きな声を最後に、完全に私の意識と身体は氷へと閉じ込められていた。
でも、不思議と寒くはなかった。冷たいという感触も痛みもない。
ただ――怖かった。
死という恐怖よりも、あの白い影に捕まってしまう事が。何かを思い出してしまい、皆を……家族や、ティキを失ってしまう事の方が、ずっと。
それならいっそ、知らないまま。
皆の家族まま、このまま――。
『 ダメダヨ 』
え……?
『 約束シタダロ 』
あなたは、誰?
やく、そく……?
『 モウスグ、会エル 』
あ、え……る……?
貴方に――会える……?
『 必ズ会イニ行ク。ダカラ、待ッテテ 』
――うん……。
待ってる……ずっと……。
ずっ、と――。
『 オ レ ノ イヴ 』