鳥檻のセレナーデ
□28幕.饅頭味
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G o o d n i g h t m a r e_
「ま、賢明な判断だな」
空高く飛んでいったティムを見届けつつ、男は興味なさ気に肩を竦める。
追おうと思えば追う事も、ましてゴーレムを破壊する事だって出来ただろう。――だが。
「さて少年、お別れの時間だ」
男の仕事は暗殺であり、そのターゲットは今目の前にいる。自分の半分程の年齢の少年――アレン=ウォーカーが。
「心臓に穴を開けるだけにしろよ、ティーズ」
白い手袋に蝶を象ったゴーレムを貼り付け、アレンの隣へと片膝を付ける。
明確な殺意を持つ男が近づいたと言うのに、少年はただ地面へと倒れている事しかできなかった。それが歯がゆくて、苛立たしい。
「こいつはイヴのお気に入りだからな」
力を使い果たした事により、逃げる事も、身動きすらできないアレンの身体へと、再び男の手がすり抜けていく。先程、一度手を伸ばした場所へと向かって。
「心臓から血が溢れ出し、体内を侵す恐怖に悶えて死んでくれ」
そう告げる男の瞳には、様々な感情が宿っていた。
幼い少年に対する微かな罪悪感と、それ以上の嫉妬。
罪に対する些かの後悔と、それを上回る殺人への快楽。
反する想いを瞳へと宿しつつ、アレンの心臓へと手を振れ、そして――鈍い音が静かに響き渡った。
「……ッ、イヴ」
心臓を傷つけられた事で、アレンの口から飛沫する血。それと共に溢れたのは、ここには居ない少女の名前だった。
自分の中へと溢れていく血の感触。
それとは逆に、自分が死んでいく感覚。
男と同じように、それでも別の意味で反する感覚に襲われながら、少女の名を呟いていた。
まるで、熱に魘されたように。最後に一目会いたかったと言うかのように、何度も。
「……安心しろ少年。イヴは俺が守るよ」
そんなアレンを前に、薄らと男の瞳が細められる。同じ想いを持つ者同士、同調しているのか、それとも同情しているのか。
「お前等エクソシストからな」
言葉と共に腕を引き抜いては、アレンのコートから銀のネームボタンを引き千切る。
裏を返せば、そこには確かに標的の名前が書かれていた。「Allen=Walker」と。
名前を確認した後で、もう一度名前の主へと視線を向ける。
先程まで少女の名前を呼んでいた口は動きを止め、前を見据えていた瞳からは徐々に光が消えていく。
「……」
その光景にまた一瞬、別の人物……アレンが名を呼んでいた少女の顔が重なって見えた。
今の少女ではなく、昔の少女の。ノアではなく、エクソシストだった頃の。エクソシストだった彼女の、最後の顔。
口許から溢れる血。
光が消えた虚ろな瞳。
ただ虚空を見つめる少女。
もう話す事も、笑う事もできない、ただ死に行くだけの顔。
それを思い出してしまっては、小さく男の頭が左右へと動く。
まるで思い出したくないと言うかのように。少女のあんな顔はもう、二度と見たくないと言うかのように。
「――ん?」
そんな時、ふとアレンのコートからトランプが顔を出している事に気が付いた。
以前列車の中で知り合い、男自らが渡したカード。
「……良い夢を、少年」
そのカードを手に持っては、バラバラとアレンへと振りまいていく。
死人を花葬するが如く、死者に六文銭を持たせるかのように、黄泉への手土産として。
その光景を最後に、辛うじて残っていた少年の意識は混濁の彼方へと飛ばされ。
アレン=ウォーカーの鼓動もまた――ゆっくりと停止していった。