なくしたものは、
□多分、特別なもので
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新宿の臨也の家に着いて、帝人は真っ先に寝室のドアを開けた。
「臨也さーん、起きてください!」
ベットがもそりと動いて低く唸る声が聞こえる。帝人はベットに近づいて毛布に包まっている人物の体を軽く揺すった。
「起きてくださいよ。」
「んー、今何時…。」
「9時です。」
「えー…まだ早い…」
「あなたがこの時間に起こしてくれって言ったんですよ。」
「…そうだっけ。」
毛布から顔を出して眉間にしわを寄せて臨也はこちらを見た。
「なんだ、帝人君か。」
「寝呆けてます?誰だと思ったんですか?」
「いーや。それにしても、この時間は早いなぁ。高校生は休みの日だったらまだ寝てる時間だよ?」
「僕だってまだ寝たいですよ。それにあなたはもう成人してます。」
体を起こした臨也に淡々と帝人はそう言った。
今の臨也は、体は大人だが、7、8年間の記憶を無くしたせいで心は高校生などとややこしいことになっている。つい1週間前からの話だが。
「あーあ、俺の貴重な高校生活を覚えてないなんてさ。」
帝人の言葉に溜息を吐くように臨也はそういった。それに帝人は、おや、と思う。
「臨也さんは学生生活とか、そういうの気にしてないと思ってました。」
「体験っていうのは大事なものだよ。学生でないと見れないものや聞けないものや出来ないことがある。人間関係も学生独特のものがあるだろ?俺はそれを半分以上忘れちゃったんだからさ。」
あーあ、勿体ない、と立ち上がって、臨也は帝人を見下ろした。
「帝人君、学生ごっこでもする?」
「全力で遠慮します。それに僕はまだ現役高校生ですから。」
一歩臨也から離れて帝人はドアへと向かう。つれないなぁという声が後ろから聞こえたが無視して寝室を出た。
+++++
「さっきも言ったけど、俺キミにこんな時間に起こせっていったっけ。」
リビングでテレビを見ながら帝人が作ってきた朝食を片手で器用に食べつつ言った臨也の第一声はそんな言葉だった。
「僕が来た時に起こしてくれって昨日あなたが言ったでしょう。覚えておいてくださいよ、そんくらい。」
「…どーでもいいけど、帝人君の俺に対する態度ってドライだよね。」
「そうでしょうか?いつもこんな感じなんですけど。」
テレビを見ながら帝人はお茶を飲む。その姿を横目で眺めながら臨也はおかずを口にした。
「この味…」
「味?」
聞こえてきた言葉に帝人は首を傾けて聞き返したが、臨也は何でもないと首を横に振った。
何だろう。味変だっただろうか。
そう思ったが、それ以上は臨也に聞くことはしなかった。
自分が臨也の家でやる仕事といえば、多少の書類整理と後は炊事洗濯ばかり。
洗濯掃除はなんとかなるが、料理など殆どしたことがなかったので最初は全く美味しいものは作れなかったけれど、彼ははいつも嬉しそうに笑って食べてくれていた。
ああ臨也さんって案外優しいんだな、と出会って初めて好印象を持ったのは多分その時だ。
今の臨也は何も言わない。この間も、さっきの朝食も。別に無理して美味しいとか言ってほしいわけではないが、前はあんなに食べながら喋っていたくせに記憶の欠落した今は全く喋らないって。態度ってそんなに変わるものなのだな、と自分が知っている彼との余りの違いに、まだ戸惑っているのだ。
だから帝人は、気を紛らわすために勉強道具を一式持ってきて黙々とそれをやっていた。
臨也の方は、パソコンをいじくっていたり、書類を眺めたりしているようだ。
片手でも楽々と何かをしている臨也をちらりとたまに見て、やっぱり自分はいらなかったかななんて思ったりして。
(…ああ、間違えた。)
あまり集中出来ずに、書き間違えた数学の公式を消しゴムでごしごしと消す。これで何回目だろうかと溜まっていく消しかすとだいぶ減った消しゴムを眺めて帝人は溜息を吐いた。
「数学苦手なの?」
「…!」
突然声をかけられて顔を上げる。するといつのまにか臨也がテーブルの向かい側に座ってこちらを見ていた。
「い、いつからいたんですか。」
「ついさっきだけど、やけに何度も消しゴムの音がしたから。」
「あ…すいません。気が散りましたか?」
臨也の言葉にそう解釈をして帝人は謝罪の言葉を言う。臨也はそれに軽く顔を顔を顰めたが、すぐにいつもの表情に戻って、開いている教科書を指差した。
「ここの公式使えばすぐ解けるよ。」
「え?」
臨也の指の先を帝人は目で追って確かめる。確かに今自分がやっていた問題はその公式の応用だった。
「あ、りがとうございます。」
「君って本当に高校生なんだね。」
どういう意味だ、て意味は分かるのだが、多分自分の童顔のことを言っているのだ。
「高2なんですからね。これでも。」
「うん、同級生だね。」
「何言ってるんですか。」
ニコニコとした顔で言った臨也に帝人は呆れた顔でそう返した。
「だって精神的には俺高校生だからさ。間違ってはいないよね?」
(―…まあ、そうかもしれないけど…)
同級生同級生。自分の中で彼がそんなカテゴリに入るなんてことを考えたことがないため、とてもじゃないが不思議な気分だ。
(臨也さんが同級生だったら多分きっと学校生活滅茶苦茶になりそうだ。)
そう考えながらも口元は僅かに笑う。それはそれで自分にとっては楽しいかもしれない。なんて考えてしまう自分は本当に非日常が大好きである。
「何笑ってんの。」
臨也は帝人をみて不満そうな顔をしてそういった。帝人は今考えていたことを言ってみようかどうだろうかと考えて、やっぱり言わないと席を立つ。
「何でもないです。それよりもうお昼ですね。ご飯何がいいですか?」
「何でもいい。」
「そうですか。」
何でもいいが1番困るが、でもまあいい。素っ気ない返事に帝人も素っ気ない返事を返してキッチンへ向かった。
+++++
真っ暗な部屋に、パソコンの明かりだけを灯しながら臨也は考え事をしていた。帝人は既にここにはおらず、今頃帰って寝ているはずだ。
本当に自分にとって彼は何なのだろうと考える。目が覚めて初めてあの子供を見たときの妙な違和感と、知らないうちに感じる僅かな苛立ちと。今日この部屋に一緒にいて感じた安心感というか何というか。
色んなものがまじっていてはっきりとはしないが、あの少年は自分の中で何か特別な位置にいたのではないかとそう思う。
(分からないなぁ。)
自分が使っていたらしいパソコンのパスワード画面を見つめながら静かな溜め息を吐く。彼のことも分からないしこのパソコンのパスワードも分からない。
知らないことだらけというのはなんとまあ苦痛なことか。調べることは得意で好きなことだが、まさか自分のことが分からないとなるとどう調べていいのか分からない。
パスワードはイレギュラーな方法で調べればどうにかなるとは思うが、少しは自分の手でどうにかしてやりたい。
けれど、本当に何をパスワードにしたのか分からない。ああもう、と臨也は苛立まじりに何気なしにキーボードを叩いてエンターキーを押した。
「あ。」
柄にもなく間抜けな声が部屋に響く。
画面が切り替わりデスクトップ画面が表示されたのである。
シンプルな壁紙が映し出され、臨也は心の中でガッツポーズをした。何の言葉を入れたか覚えていないが、まあいい。これで色々分かるかもと感じながら、データを一つずつ開いてざっと見ていった。
やっぱり。
内容は殆どが仕事に関する情報ばかりのようで、見ていくと、やはり自分は中々に面白い事をしていたらしいと口元を緩ませる。
―それでも、少年についての情報はあまり見つからない。
本当に彼が自分にとって何かしら特別な存在ならば、一つくらい彼についての情報があっても良いようなものなのに。
やっぱ勘違いなのかな。
そう思いつつ、マウスを動かしフォルダを次々と開けていく。
と、1分もしないうちに、ある一つのフォルダが目に入った。
「M・R」
と書かれたそれを見て単純に何だろうと興味をひかれた。何か変わった情報だろうかと何も考えずに臨也はそのフォルダを開いた。
―それが臨也にとってどういうものなのか後に知ることになるのだが、今はただそれを見て臨也は目を見開いて固まった。
「―…なにこれ。」
そのフォルダの中身は膨大な数の写真、しかもすべて竜ヶ峰帝人の写真だった。
――――――