なくしたものは、

□多分知らない感情で
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初めて彼を見た時、軽く驚いた。まだ高校生の普通の少年で。




自分が情報屋なんて仕事をしていたのは別段驚きはしなかったが、自分の下でバイトをしていた少年と、もう一人助手として雇っていた女性もいたことには些か興味が湧いて、一体どういう経緯で自分の元で働くことになったのかを知りたくなった。自宅兼事務所だという新宿の家の棚に並べられている書類をざっと眺めて自分自身のしていた仕事を予想すれば、普通の人間に手伝わせるとは到底考えられないものが多いことは一目瞭然である。もし自分がそんな中で人を雇うとしたらそれだけの理由が伴っていたはずだ。
そう思い、そこら辺にあったノートパソコンやら資料やらを使わせてもらい(デスクにあるパソコンはまだ使えないため)、助手だといわれた矢霧波江と、竜ヶ峰帝人について調べてみたのは5日ほど前の話だ。

調べて繋がっていそうなものは、矢霧製薬にダラーズの一件。今の池袋はなかなかに面白い事になっているなと思ったのが最初の感想だが、矢霧波江の件は、成る程、ここで働くことになった経緯は何となく想像できた。竜ヶ峰帝人についても一物持っている人間のようで、なかなか興味深く面白いとは感じた。
―感じたけれど、ここで働かせることにした経緯までは見えてこない。自分としては泳がせて様子をみたいところであり、手元に置く必要がどこにあるのか。

まあ、以前の自分が考えていたことがよく分からなくなったのはここでだったわけだ。





池袋に降り立って臨也は街を歩く。相変わらず人が多い場所だが、何となく自分の知っているものとは違って見えるのは、本当に7、8年の記憶がすっぽりと抜けているのだということを自分に伝えているようだった。
しばらく歩き回って、見知った場所へと足を向ける。頭のなかではつい先日まで通っていたその場所はどうやら名前が変わってしまったらしい。来良学園という文字のある校門の前に止まって、次々と出てくる青い制服を臨也は順番に目で追った。
確かあの子もここの生徒だ。そういえば新宿の家に一緒に行った日以来彼とは会っていない。別に会いに来たわけではないが、せっかくだから待ってみようか。そう思った矢先に校舎の方からこちらへ来る少年と目が合った。臨也さん、と名前を呼んできた帝人にこちらは軽く手を上げる。

―ぱたぱたと寄ってくる様は小動物のようで、見上げてきたその目はとても綺麗で。

なんて。
何を考えてるんだ俺はと自分が思ったことに突っ込みを入れながら少年と少し話をした。彼がバイトをし始めた経緯をやはり知りたかったので、歩きながらそれについても聞いてみたのだが。

ただ忙しいから手伝ってほしいだなんて。

それだけの理由で自分のテリトリーに他人を入れるだろうか。


「あのさぁ、」

君は一体俺のなんなの?
そう口にする途中で爆音に邪魔をされた。
音の正体はすぐそばに落ちた自動販売機で、飛んできた方角を見るとそこには、金髪ですぐにわかる、大嫌いな天敵がいた。

「静雄さん!」

となりでそう叫ぶ少年の声が聞こえて何故か苛立ち、相も変わらずだだ漏れの殺気を向けてくるあいつに苛立ちを覚える。

「あいつ。まだ生きてたんだ。」

丁度良い。今物凄く機嫌が悪いのだ。

臨也は飛んできたゴミ箱を避けて、ナイフをストレス発散目的で思いっきり投げ付けた。ついでにしんでくれれば万々歳だなんて思いながら投げたそれは、まあ予想どおりだが当たったナイフは刺さらずに地面に落ちていく。
全く、本当にむかつく野郎だ。

「いざやくんよぉ!池袋にはくんなって何度も言ってんだろうが!」

「何それ知らなーい。ていうかその服何?コスプレ?」

「んっだとコラァ!しね!」

静雄の叫ぶような言葉に、挑発する言葉を返しながらガードレールをひょいと避ける。地面に鋭く突き刺さったそれを横目で見て、あいつ益々人外じみてるなと臨也は舌打ちした。
その後も静雄は攻撃を続け、臨也はそれを避けつつ、隙を見てはナイフで応戦を繰り返した。けれど自分も人間だ。あいつは疲れなど感じていないだろうが数十分もそんなことを続けていればこちらは疲労が溜まるのだ。
それにあの少年のことも気に掛かって―

(―…あれ?)

そこで浮かんできた言葉を臨也は疑問に感じた。どうしてそこでその名前が出てくる。こんな状況でそんなことを自分は思わないはずなのに。
思えばそこで気を取られたのだ。
しかも視界の隅で少年が見知らぬ誰かと話をしているのが見えてさらに気を取られて。

気がついた時には自分は吹っ飛んでいた。



―――

目を覚ますと体がギシギシと痛んで、特に左腕が動かなかった。
ああこれは折れたなと直感で分かって臨也は溜め息を吐く。こんなヘマをするなんて自分が自分でないみたいで。

(イラつくなぁ。)

この一週間そんな言葉を何度唱えただろうか。










+++++
ああ疲れたと、新羅と門田、帝人はそろってそう呟きながらソファに座ってお茶を飲んでいた。

「帝人君って結構すごい子だよね。静雄を宥めるとかさ。」

「え、そうでしょうか。」


つい数時間前、帝人は次いで標識を投げようとしていた静雄をなんとか宥めることに成功した。(宥めるというよりも気を逸らしたというべきか)
それから、自動販売機の下敷きになった臨也を引っ張りだしてもらい、後は門田の協力により、近くに止めてあったワゴン車で、新羅の自宅へと運んでもらったのである。

静雄については、帝人はひょんなことから知り合っていて、街中で会えば話をするし、実は甘いもの同盟だったりもする、そんな仲だった。臨也のところでバイトをしていることも知っていて、これまで色々と言われたりもしたのだ。(逆に臨也には静雄と行動していることに色々言われたりしていた)


―それにしても

「臨也さん大丈夫でしょうか。」

「大丈夫じゃない?あんな怪我しょっちゅうだし。」

新羅のその言葉に帝人は若干顔を顰める。わかってはいるけれど、それでも目の前であんだけ吹っ飛んだ人間なんてほとんど見ない(最初に会ったときに吹っ飛ばされていたのを見たけれど)ために動揺をまだ隠せない。

「割と臨也のこと心配してくれてるんだね。」

「え、それは、まあ―」

だって彼には世話になったし、雇い主だし。
そんな理由が頭に浮かんでくるがでもどれも的を獲ていないような気がした。
彼が自分を忘れてしまったことに自覚以上にショックを受けていたことにも寂しさにも。
訳の分からない感情が自分の中にあってそれを必死に隠しているような、今それに気付いてしまったらもっと自分は傷ついてしまうんじゃないだろうかなんて。


「でも本当に、竜ヶ峰が心配するほどじゃないと思うけどな。」

俯いた帝人に門田がそう声を掛けた。頭をがしがしと撫でられて、思わず泣きそうになる。
「ありがとうございます」と小さく礼を言うとまたがしがしと頭を撫でられた。
取り敢えず頭を切り替えようと帝人は考える。とにかく今は面倒なことは考えないことにして、彼が早く目を覚ますことをとにかく祈って―


「何してんの。」

低い声が頭上で聞こえて帝人ははっとして顔を上げる。臨也が睨みを利かせながらこちらを見下ろしていたのだ。

「臨也さん!」

「おお臨也」

帝人は思わず叫んで隣の門田は冷静沈着に挨拶をした。そんな二人の反応を臨也は交互に見て、最後に目を細めて門田を見た。

「お前誰だよ…て思ったけど、…もしかしてドタチン?」

「…その名前で呼ぶなっつってるだろーが。まあ、事情はさっき新羅に聞いたが。」

災難だったな、と言った門田にまあね、と臨也は短く答えてソファーの、帝人の隣に座った。帝人突然現れた臨也に戸惑いながらも少し場所を空けた。その時若干臨也と目が合ったがすぐ目を逸らされてしまう。


「その顔、」

「へ?」

「どうしたの。」

目を逸らしたまま臨也は帝人にそう聞いてきた。最初はなんのことかと思ったが、頬の辺りに貼ってある絆創膏のことだろうか。

「あ…いえ、さっき転んだときにちょっと切っただけです。」

「そう。」

とそれについては一言で返ってきて、それから「ドタチンと知り合いだったんだね。」と言う言葉が続く。帝人は肯定する言葉を返すと次いでちっと舌打ちをされた。

「それで、シズちゃんとも知り合いか。」

臨也は呟いて顔を顰めた。名前を言うのも嫌なんだなとその顔を見て改めて帝人は思いながら、反対の隣にいる門田と、向かい側に座っている新羅を見たが、二人とも苦笑いなんだかやれやれといった感じの顔をしていた。なんだろう、帝人はそんな二人の表情を疑問に感じたがそれよりも臨也の腕が気になった。

「臨也さん。その腕、」

「ああ、骨折でしょ?新羅。どれくらいで治る?」

「ん?そうだなぁ。君なら1ヶ月しないで治るんじゃない?無理しなければの話だけど。」

新羅は臨也の質問に淡々とそう答えた。それに対して、面倒くさいなそれもこれもあいつのせいだとぶつぶつ呟く臨也。

(…どうしよう。でもたぶん大変そうだよね。)

帝人は包帯が巻かれた腕を見ながら眉間にしわを寄せた。片腕が使えないというのは生活には些か支障が生じるだろうと思う。臨也は治るまでの約1ヶ月どうするのだろう。なんてそんなことを考えても仕方がないけれど、でも見過ごして何も手助けをしないのはなんだか気が引けるというか。

「帝人君に頼んだらどうだい?」

「え?はい?」

いきなり自分の名前が出てきて帝人はその言葉を出した人物、新羅に目を向ける。

「何の話ですか?」

「いやね、片腕が使えないというのは、まあ生活出来ないわけじゃないけれど何かと不便だろうなと思ってさ。だから手伝ってくれる人がいればなぁって話。帝人君なら臨也の家のこと分かるし良いんじゃないかと思って。」

自分が考えていたような内容を丸々出された感じで帝人は顔を引きつらせる。心、読まれてないよね。

「ぼ、僕で良いなら手伝います、けど…」

帝人は躊躇いがちに言って、ちらりととなりを見遣った。すると臨也は下を向いて何事か考えていたようだ。少し間を置いてこちらを見た。

「まあ…そうだね。俺も不便だとは思うし。頼める?」

「あ、はい!」


慌て答えた帝人に、じゃあよろしくと言った臨也は珍しくも曖昧な笑顔だった。





―――――

「あいつ、本当に竜ヶ峰のこと覚えてないのか?」


帝人は臨也と共に新羅の家を先に出て行って、残った門田が新羅にそう聞いた。
その言葉に新羅は苦笑する。

「多分無意識に意識してるんだろうね。帝人君のこと。」

先程の臨也の様子、いや一週間前から臨也の帝人に対する様子を見て新羅はそう考える。当事者は気付いていないようだが、臨也は少なからず帝人を気にしている。それは臨也が記憶を無くす前と似たようなものが感じられて。
門田もそう感じた様でやれやれと肩を竦めた。

「良かったのか?竜ヶ峰にあいつの世話なんかさせて。」

「なんとなくさ、多分臨也は帝人君に悪いことはしないと思うんだよ。」

以前の臨也の気持ちを知っている分、そして今日の彼らの様子を見て新羅は何となくそうしたら何か起きるのではないだろうかという気分になった。
本当に何となくなので、帝人には悪いのかもしれないが。

「まあ、良いほうに転べば良いかなーなんて。」

半笑いで呟いた新羅に門田は、呆れて何も言わなかった。





―――――

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