なくしたものは、
□割と大事なものですか
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新羅が臨也の家に来たのはちょうど昼食を食べ終わった頃で、帝人は食器を洗い終えてから臨也の家を後にした。新羅にお疲れさまと労いの言葉を貰い、臨也には何の言葉も貰わず。
新宿から池袋に戻り、すぐに自宅へと足を向けた。住み慣れたアパートに着いた所でどっと疲れがこみあげる。
自宅のドアを開けて、直ぐに見える畳に帝人は寝転がった。
予想どおり、臨也の情報屋の仕事は暫く休みということになり、帝人のバイトも休みということになった。
辞めろとは言われなかったけれど、臨也の記憶が戻らない限り、多分彼の所で仕事をすることはないだろうと感じている。
戻るのだろうか、彼の記憶は。
帝人はふと考える。
もし彼の記憶が戻ることがなかったとしたら、自分は何か困ることがあるだろうか。まあ、すでに仕事関係で困ってはいるのだけれど。それ以外に何かが自分の中で引っ掛かるのだ。
些細なものかもしれないが、どうにもそれが分からない。
うーんと唸って帝人は起き上がり、大きく伸びをする。まあいいか、今は考えたってしょうがない、とそれについては思考を完結させて、次いで帰りぎわに新羅に言われた一言を思い出した。
たまにでも臨也のことを気にしてやってよ。
そんな新羅の言葉に、帝人は素直に頷いた。別にバイト関係が無くなったといっても臨也には一応世話になったこともあるし、記憶の事であっても帝人は出来る限りは協力するつもりでいる。(面倒だけれど)
そんな旨を素直に告げると、新羅は苦笑して、前の臨也が聞いたら泣いて喜びそうだ、なんてことを呟いていた。
帝人にはその意味がよく分からなかったが、多分臨也には協力してくれる人があまりいないから自分が協力するなんていったら喜びそうだ、てことだろうなと今は解釈しておく。
さて、とにかく、今自分がしなくてはならないことは別にある。帝人はそれを片付けるべくパソコンの電源を付けた。
+++++
「マイエンジェル、みっかどー!!」
「ああ正臣。バカじゃないの?」
「辛辣!そしてドライ!」
臨也が記憶をなくしてから1週間が経ち、週末の授業を終えて帝人は帰るところだった。正臣がいつものごとくテンションの高い体当たりしてきたのをかわして、軽くチョップを食らわした。
「あれ、カバンは?」
「ああ、すまん!俺の委員会に特別召集がかかってだな、一緒にナンパ行けなくなっちまったぜ…」
「そうなんだ。ていうかナンパの約束なんてしてないんだけど。」
両の手をぱんっと合わせて謝ってくる幼馴染みの頭をよしよしと撫でつつ、園原さんも今日は早く帰ってしまったし今日は一人で帰るのかと帝人はふと窓の外を見た。
「あれ?」
校門から出ていく大勢の青い制服の中にちらりと黒い服が見えて、帝人は思わず声を上げる。正臣はどうしたと聞いてきたけれど、何でもないと答えておいた。
「じゃあ正臣。委員会頑張って。」
一言正臣に声を掛けて帝人は教室から出る。少し早足で階段を降りて昇降口へ向かった。
間違いじゃなければ。
多分あれは彼だ。
下駄箱で靴を履き替え、急いで外へ出る。するとすぐに門の外側で佇んでいる人物と目が合った。
「臨也さん。」
帝人は遠くから声を掛けて臨也の方へ向かう。向こうはやあ、という風に手を上げてきた。
「何かここに立ってたらすごい見られたんだけど。」
「当たり前ですよ。臨也さん有名ですし、」
しかもその容姿で目立たないわけがない。このイケメンめ、と卑屈に思いつつ、帝人は臨也を見上げた。
「こんなところでどうかしたんですか?」
「ああ、池袋を見て回るついでに、学校に寄ってみたってだけ。」
校舎を見上げて臨也はそう言って、外見は特に変わってないかな、と付け足して帝人に向き直る。
「そうだ帝人君。会ったついでに少し話でもしない?」
「話ですか?」
「そ、歩きながらでいいからさ。」
にっこりと笑顔で言ってきた臨也に別に断る理由もない帝人はまあいいですけど、と頷いた。
それに対して臨也はありがとう、とお礼に聞こえない口調でお礼の言葉を言って帝人の前を歩きだす。帝人はそれについていって隣に並んだ。
「どうですか?記憶の方は。」
「特に何も。…ああ、昨日波江さんって人にあったんだけどさ。」
「ああ、そうなんですか?」
「うん、なかなか性格歪んでて笑っちゃったよ。」
あんな人を助手に雇うなんて俺もやるね、なんて自画自賛する臨也に帝人は呆れた顔をした。あなたにだけは性格歪んでるとか言われたくないだろうなという言葉は心のなかに止めておく。
臨也は、それでね、と言葉を続けた。
「君はどういう経緯でバイトすることになったの?」
「どういう経緯、ですか?」
帝人は首を傾けると臨也は、参考までに、と付け加えた。
「波江さんは知ってるんだよ。調べたらすぐに分かったから。でも、君を雇った経緯っていうのがよくわからなくてさ、まあ、以前の俺が何を思ってたのかっていうのを単純に知りたいと思って。」
「はあ、なるほど。」
でも経緯と言われても
「いきなり臨也さんがうちでバイトしないかって言ってきたんです。」
「それだけ?」
「ええ。」
一年前の、いつだったか。偶々街中で臨也と会って、他愛無い話をしている途中で、思い出したかのようにそう言ったのだ。最近忙しくて猫の手も借りたいほどなのだと。
仕事も危険なことはしないし書類整理などの簡単なもので、後は炊事洗濯をすれば良い。それで給料は良くて食費もだいぶ浮くので、帝人は割とすぐにやりますと返事をした。
その時の臨也はなんだか拍子抜けしたような顔をしていたが、すぐにありがとうという言葉が返ってきたのを虚ろながら覚えている。
ああそういえば、この時は割と感謝に聞こえる口調だったか。
「という訳で、大した経緯も理由もないんですけど。」
「…ふーん。」
帝人の言葉に臨也は気のない返事をして立ち止まった。
「臨也さん?」
「…あのさぁ、」
ドゴォッ!
臨也が何か言い掛けたところで盛大な爆音が響く。音の正体は臨也の真横に落ちた自動販売機で、帝人も臨也も飛んできた方向を見た。
「静雄さん!」
金髪にバーテン服が見えて帝人は心の中でやばいと叫んだ。静雄の手には既に次に投げようといわんばかりのコンビニのゴミ箱がある。
「臨也さん!はやく」
逃げましょう、そう言おうと帝人は臨也の腕を引っ張る。だが、臨也は動こうとしなかった。
「あいつ。生きてたんだ。」
近づいてくる天敵を見て、憎たらしげにそう呟いてナイフを取り出した臨也。それに帝人は思わず息を飲む。
(何だろう、何か。)
帝人の手を取り払い、臨也は横に飛んだ。そのすぐ後にコンビニのゴミ箱が飛び込んできた。
けたたましい音がして、ゴミ箱が地面に転がってゴミがそこらじゅうに飛び散る。
辛うじて避けられた帝人は、危なかったと冷や汗をかいて地べたに座り込んだ。
「いざやくんよぉ!池袋にはくんなって何度も言ってんだろうが!」
「何それ知らなーい。ていうかその服何?コスプレ?」
「んっだとコラァ!しね!」
臨也の挑発と静雄の怒声がいつのまにか人のいなくなった街中に響く。世の公共物がビルに突き刺さったり地面に突き刺さったり転がったりしながら、それらを素早く避けてナイフを飛ばしている臨也が見えた。
ああ何かちがう。
帝人はもう一度心の中で呟く。
こんな光景を見たのは久しぶりだ。最近は、そう、臨也はすぐに逃げていたから。あいつなんかに邪魔されてたまるかなんて訳の分からないことを言いながら、帝人の手を取って。
別に心配などしていないのに、大丈夫だとでもいうようにこちらを見て柔らかく笑うのに。
目の前の壮絶な争いを呆然と見ながら、帝人は今やっと気付いた。
臨也が記憶を無くしてから些細に自分の中で引っ掛かっていたもの。
(―ああそうか、悲しいんだ。)
自分の顔を見るなり誰だなんて言われたことが。もうおはようと笑いかけてくれないことが。今現在自分を見てくれないことが。
―彼が自分を覚えていないことが。
そのことが何故か悲しくて、だから自分は。
「おい。大丈夫か?」
肩に手を置かれ、はっとして顔を上げる。見上げた先には見知った顔があった。
「…門田さん」
「顔色悪いな。どこか怪我でもしたか?」
「あ、いえ。どうしてここに。」
「ただの通りすがりでな。それにしても、久し振りに派手にやってんな、あいつら。」
門田はまだ続いている騒音と頭上を飛び交う物々を見ながら、立てるかと言って帝人に手を差し出した。
帝人は頷いて門田の手を取って立ち上がる。
「とりあえずここから離れたほうがいいかもな。」
「あ、でも、」
臨也さんが…と目を向けた瞬間臨也が吹っ飛ぶのが見えた。
「「え。」」
門田と二人で驚きの声を上げる。
飛んでいった方向を目で追うと、臨也は自販機の下敷きになっていた。
「あいつ、死んだか。」
「え、うそ。静雄さん!ストップ!ストーップ!」
―――――