なくしたものは、

□僕との記憶
1ページ/1ページ



「帝人君もう帰るの?」

荷物をまとめて玄関へ向かった帝人は窓際のデスクに座っていた臨也にそう声をかけられた。

「ええ。明日学校あるんで。」

短く言って帝人は素早く靴を履く。早くここを出ないとなんだかんだで臨也に引き止められてしまう。

「泊まっていけば?」

ほらきた。いつもそうやって寂しそうな声で言ってくるのだ。今回は聞いてやらないけど。その理由は明日テストがあるからで、いくら1人で仕事をするのが嫌だからって今日は自分を巻き込まないで欲しいと帝人はドアの取っ手に手を掛ける。

「帝人君が夜食とか作ってくれれば仕事はかどる気がするなー俺。」

「嫌です。夕飯の残りがあるんでそれをどうぞ。」

がちゃりとドアを開けて帝人は外へ足を踏みだす。その間も後ろの方でぶつくさ言っている青年にさようならと大声で言ってマンションを後にした。

どうせ明日は週末で、泊まりで臨也の仕事を手伝うことになるのだから、明日は夜食を作ってあげようとそう思いながら。


まさかその明日にあんなことが起きるなんてこの時は全く思っていなかったのだ。






+++++
気が付いたときにはもう朝で、帝人は布団の中でうつ伏せになり、枕に顔を埋めながら唸った。

ぶっちゃけ眠れなかった。
昨日の事が衝撃的だったのは言うまでもない。臨也の記憶がないだとか、いきなりそんな事態を聞かされても帝人の頭では昨日のうちに処理が出来なかったのだ。おかげでろくに眠ることが出来ないまま朝を向かえてしまった。

(それにしても、ホントに僕も行かなきゃいけないんだろうか。)

今日は臨也の事務所兼自宅に行くことになっている。しかも臨也と共に。
それがとてつもなく嫌なのは、せっかくの休みなのに臨也に付き合わなければならないことであったり、別のアルバイト先のことを考えたいことであったり色々あるからというのと、自分のことを覚えていない臨也にどう対応したらいいのか分からないからというのもある。
帝人が臨也を知っていても臨也は帝人のことを知らなくて、そんなのどうしろっていうのか。新羅はいつもどうりに接してくれれば良いよなんて言っていたけれど、そういうのって案外難しいと思うのだ。

ああ気が重い、と帝人は溜息を吐く。
現在午前8時すぎ。新羅の家に9時には来るようにと言われているので(臨也に)、朝食を食べる余裕は残念だがない。せっかくの休日なのになあ、と帝人はぶつくさ言いながら布団を畳んだ。









+++++

「へえ、結構広いところに住んでるじゃん、俺。」

「ええ、まあ。」

物珍しそうに部屋を見て回っている臨也を見て帝人は溜息を吐きながら答える。
新宿の臨也の自宅に着いたのは正午を回る少し前だった。本当だったらもう少し早く着く予定であったのに、それが遅れた原因は此処へ来ようと言った本人にあった。

「いやー、7、8年でも割と変わってるもんだね池袋も。」

「だからってちょろちょろとどっかに行こうとしないでくださいよ。」

新宿に行く途中、帝人と臨也は池袋を少し見ながら歩いていたのだが、所々で臨也がここにあれがあったはずなんだけど、とか、ここが違うような、とか言いながら別の道に歩いていこうとするので、帝人はそれを何十回と引き止めて歩いた。もう放っておいて行ってしまおうかとも何度も思ったが、新羅に目を離すなと頼まれているのでその気持ちをなんとか投げ捨てた自分は偉いと思う。

ともあれ、そんなこんなで色々あったが無事新宿に着いたことは大変喜ばしい。道行く途中で静雄に会ってしまわないかとても心配だったからだ。(今二人が会ったらややこしいことになりそうだし)

ああ本当によかったと、安心しながら帝人はテレビの前にあるこたつの電源を入れた。

「これ、ミスマッチだよねぇ。」

「はい?」

「こたつ。俺そこまで好きじゃないんなんだけど。」

それはおかしな話だ。彼は自分で買ってきたのに。

「何で好きじゃないんですか?」

「だって一回入ったら出られなくなりそうだし。」

臨也はそう言ってまた別の部屋を見に行った。
何だそれは。変な人なのは前から知っていたけど。

この部屋にこのこたつがあったのは帝人が知るかぎり、確か半年くらい前からだった。帝人はこたつ大好きなのでかなり喜びながら、これどうしたんですか?と聞いたら、思わず買っちゃったとか何故か照れながら言っていたのを覚えている。
そういえば同時にこんなことも言っていた。

「こたつって帝人君に似てるよね。」

どういう意味だ。
それを聞いたときもよく分からなかったが、今の臨也の言葉を聞いて帝人は益々分からなくなった。自分がこたつに似てるって事は臨也さんは僕が嫌いってことですか。いやでも、彼が嫌いな人間をアルバイトとして雇うとは思えないし。嫌われてはいないというくらいには彼とは上手くやれていた気がするし。

(ああもう分からないからいいや)

臨也のことなんて、いつまで考えても分かることなどないだろう。帝人はそう思考を完結させて、こたつが暖まるまで飲み物を用意しようとキッチンに向かった。








++++++

紅茶を2つ持って帝人がキッチンからリビングに戻ると、臨也は窓際のデスクにあるパソコンに興味を持ったようで、まじまじとそれを見ていた。


その様子を見て、ああ本当に覚えてないんだなあ、と帝人は思った。

正直異様な光景なのだ。
一昨日までは、この部屋を普通に使っていた臨也がいて、帝人が此処に来るとお早うと言って笑う臨也がいたのに。
今の彼は、まるで初めてここに来たかのようで。(実際彼の記憶のなかでは初めてなのだが)
それが何だかひどくおかしくて、そして少し―


(少し…?)

「―帝人君。」

名前を呼ばれて帝人ははっとする。危うく紅茶を溢しそうになったのをあわてて持ちなおして呼ばれた方に向かった。

「な、なんでしょうか。」

「…君ってとろいね。まあいいけど。このパソコン立ち上げるのにパスワード必要でさぁ。分からない?」

とろいという言葉が若干胸を突き刺したが、今は気にしないように頑張る。帝人は紅茶をデスクの脇に置いて、臨也が指差しているパスワード画面に目を移した。

「…いえ、基本的にこのパソコンはいじらせてもらえないので。」

「なんだ、ここで働いてるのに?」

「所詮アルバイトですから。」

といっても助手の波江だって臨也の使うパソコンのパスワードは知らないだろうけれど。波江には波江の、帝人には帝人のパソコンがそれぞれあったからだ。

「臨也さん、自分のなんだしなにか思いつかないんですか?昔、というか使ってたのとか。」

「もうすでに確かめたんだけど。」

睨まれて帝人はうっと唸る。何だか怒りっぽくなってないだろうか。自分が知っている臨也はもうちょっと沸点が高かったような気がしたけれど、とこれまでの一年を思い返して、やっぱりそうでもないかと思い直した。

怒った臨也なんて質が悪い子供だった。
物を投げるし無視するし叫ぶし、彼の天敵である静雄の名前を一回言っただけで睨まれたこともあったような気がする。やっぱ臨也さんは臨也さんだと帝人は思いながら2つある紅茶のうち一つを飲んだ。
臨也の方は、暫く画面を見つめていたが、諦めたらしい。パソコンの電源を乱暴に消して椅子にもたれ掛かった。

「…もういいや。それよりお腹すいたな。」

「あぁ、そうですねぇ。」

帝人もそう言われてそういえば、と気付く。
もうお昼はだいぶ過ぎているのだ。自分に至っては朝食も食べてないためまさにお腹と背中がくっつきそうな状態である。帝人は一昨日の冷蔵庫の中の状況を思い出しながら腕をまくる。そしていつものように何が良いかと聞くと、臨也は瞬きしてこちらを見上げてきた。

「何ですか?」

「…君が作るの?」

「当たり前じゃ…て、あ。」

そういえば今の彼は知らないんだと、帝人はそこで気付いた。当たり前だなんて、彼はいつも自分が臨也に料理を作っていたなんてことは知らないのに。

「え、と。デリバリーですよ。何が良いですか?」

習慣って恐ろしい。
そう思いながら、帝人は慌て言い直して、いつも注文する店のメニューを取りにいこうとした。けれど、臨也に手を掴まれ引き止められてしまう。

「君が作ってよ。」

「は?」

「さっき言い掛けたの、それでしょ?当たり前って事は君はいつも俺に料理を作っていたわけだ。」

こういう探りを入れてくるように話すのは変わっていない。

「…まあ、そうですけど。でも、」

「いいからさ、君が作ってよ。」

にこりと胡散臭い笑顔をされて若干引いたが、そこまで言うなら今更断る理由もないので、帝人はわかりましたと頷いた。それに臨也は満足したようで、じゃあ待ってる、と帝人の腕を放す。

「あ、でも早くしてね。」

「…はいはい。じゃあこれでも飲んで待っててください。」

帝人は先程入れた紅茶を臨也の前に置いて、直ぐに料理を作るためキッチンへと向かった。
その為、怪訝な顔をしながらも紅茶に口を付けた臨也が、俺の好きな味だと呟いたのは聞こえなかった。





―――――

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ