巡り出会い
□…再会?
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―昔の記憶
僕がまだ小学生に上がる前の話だ。
目の前に現われたのは全身真っ黒でもふもふのついたコートを羽織った男の人。
幼い自分でも異質で、異様で不思議に思えたその存在はまるで世界までも異質にしてしまったかのように、自分のいる場所が今までいた森とは全く違う場所であるかのように感じられた。
なぜ彼があんなことをしたのか僕は今だに分からないでいる。
『良いことを教えてあげよう』
彼はそう言ってニヤリと笑った。
そしてメモ用紙にペンを走らせて、ひとつのシルバーリングと一緒に僕の手のひらにのせて、こう言ったのだ。
『この紙に書かれた日付と場所で俺と君はまた会えるよ。指輪はその時に返してね』
そのメモ用紙に書かれている文章はこの時から10年後の西暦と日付、そしてある都会の地名だった。
―4月3日、池袋
サンシャイン通りの人混みを掻き分けながら帝人は歩いていた。数歩前には幼なじみである正臣が歩いている。
「だいじょぶか?帝人」
「う、うん、何とか…」
池袋に来てから2日を過ぎてもこの人混みにはまだ慣れない。
今日は正臣が池袋を案内してくれるというので意気揚々と家を出たのだが、有名どころのまだ半分も回らない内に帝人はへばっていた。
正臣はそんな帝人の様子を心配して、少し休憩しようと通りのゲームセンターの前で足を止めた。
「ごめん、正臣…」
「だーいじょーぶだって!時間あるし、ゆっくり行こーぜ!」
ぱしんっと帝人の肩を叩いて笑う幼馴染みの表情につられて帝人も笑った。こういう時の正臣の言葉は元気が出るから好きなのだ。
なぜ自分が都会も都会、この池袋にいるのかというとこの春からこの地にある来良学園に入学することになっているからである。
入学式は明後日。その前に少しでも町に慣れておこうという算段のため、帝人は今日より2日前に池袋に下り立った。
だがどうだろう。慣れるどころか本当に自分は此処でやっていけるのだろうかという不安まで生まれる始末である。
どこから集まってくるのかと思うほどの人混み。
周りの景色が見えないほどずらりと並ぶ高いビル。
帝人は今まで自分が過ごしてきた場所とのあまりの違いに目眩がした。
―10年前、帝人は正臣と近くの山に遊びに行って、自分だけ迷子になったことがあった。
自分がどこにいるかも分からなくて、恐くて恐くてぐずぐずと泣いていた。
その時に現われたのが真っ黒な服を纏った人物で、帝人を見下ろして話し掛けてきたのだ。
自分は本当に恐かったものだから見知らぬ人物であってもひどく安心したのをおぼえている。
それから少しの間その人と話をしていたような気がするが何しろ記憶が曖昧なものだからそこら辺のことは分からない。しかたがない、帝人はその時幼い子供で、しかも迷子で混乱していたからだ。
けれど、最後の言葉だけは鮮明に記憶している。
『この紙に書かれた日付と場所で俺と君はまた会えるよ。指輪はその時に返してね』
帝人が幼い頃に森で会った不思議人物は日付と場所を根絶丁寧にメモ用紙に書いて、しかも指輪まで置いていったのだ。
これは何かしらあるとしか思えない。何かしらあってほしいという自分の願望でもあった。
その人が帝人にそんなことをして何の得があるのかはわからないが、もしかしたらからかっただけかもしれないが、それでも帝人は信じてみたかった。
じゃないとこの10年、まるで魚の骨が喉に引っ掛かったような気持ち悪い感覚に見舞われ続けた自分が報われないじゃないか。
今日はそのメモ用紙に書かれた日付である。4月3日の池袋。鞄の中に指輪も入れてある。
もし本当に、また会えるとしたらそれはスゴいこと。
まず何者なのかを聞いて、そしてどうしてあんな所にいて、自分にあんなことを言ったのかを聞き出したい。
そう思いながら帝人は朝からずっとそわそわしっぱなしだった。
「帝人、そろそろ行くか?」
「あ、うん、そうだね」
正臣に声を掛けられて帝人は頷いた。よし、行くぞ、と気合いを入れ直し、再び足を動かして人混みに交ざろうとする。
―その時
目の前を黒い物体が横切っていった。
「え、」
短く声を出して帝人は咄嗟にその通りすぎて行った黒い物体を目で追う。
雑踏に紛れ込む寸前だったが、確かに見た。
もふもふ付きの黒いコートに、全身真っ黒な服を纏った男の人。
それを認識した直後、帝人は走りだしていた。
まさかまさかまさか!
本当に会えるなんて!信じてなかったわけじゃないけれど!
人混みをなんとか避けながら帝人は黒い服を追い掛ける。
見失わないように目で追いながら足を動かして動かして動かして、届きそうだと思った瞬間手を伸ばした。
「あ、の…!」
「!?」
帝人が腕を掴んだ瞬間、その男性はふり返ってこちらを向いた。黒髪で、眉目秀麗な顔立ちの青年だ。あ、この顔はモテそうだな、というのは帝人が瞬時に思った感想である。
青年は帝人を見て最初こそは驚いていたが直ぐに怪訝な顔に変わった。
何?となんの抑揚の無い声で言葉を返してきた。
「あ、あの…」
しどろもどろになりながら帝人はどうしたものかと考えた。
あれから10年経っているのだ。彼が自分を分かる訳が無いから、自分があの時の子供だと説明しなければならない。
といってもどう言ったものだろうか。帝人は懸命に頭を廻らして言葉を考えた。後で思えば自分はテンパっていたのだろう。この人が別人であるという可能性は微塵も考えていなかった。
「あの、10年前にお会いしましたよね」
帝人の言葉に目の前の男性はきょとんとした表情をして、それからくつくつと笑い出した。
違和感が生じたのはその時だ、帝人は青年を見上げてあれ、と首を捻った。
「何それ、新手のナンパか何か?」
「あ、いや、そうじゃなくて…」
口に手を当ててくすくすと笑っている顔を眺めて、今の違和感の正体はなんだろうと少し考えて、そうかと思い当たった。
今目の前にいる彼は若すぎるのだ。
10年前に帝人が会ったあの人は少なくとも大人だった。10年経った現在は軽く20代後半か30歳より上のはずでなければならない。
だがこの男性は見るからに20代前半である。
あ、もしかして全然別人?
そう考えて再び青年を見上げると、眉根を寄せた顔が見えた。
「…用が無いなら離してくれる?」
「あ、いや、ちょっと待ってください…!」
無感情な相手の声に肩をびくつかせながら、帝人は必死に考えた。もしかしたらこの人は自分と同じで童顔で、本当は30代くらいだったりするかもしれないじゃないか。
―かなり無理めな考えだとは分かってはいるが、そうでも考えなければ帝人は今のこの状況に耐えられそうにない。
「えっと、今おいくつですか?」
「は?」
あ、間違えた。知りたかったことをストレートに聞いてしまった。
自分がいきなり見知らぬ人にそんな事を聞かれたらドン引くだろう。帝人は視線をさ迷わせながら考えて言葉を変えた。
「じゃ、なくて…10年前にさ、埼玉の方に来たことはありませんか?」
「10年前?埼玉?」
これならどうだ。引っ掛かってくれ。
我ながら(無駄な)悪あがきである。
対する相手は帝人の質問に心当たりがないか考えている様子だ。
どうかあってください。
帝人は心から願った。
だが目の前の男性が次に発っした言葉は、帝人の願いを簡単に打ち破った。
「―ないね。」
「…、」
「俺が10年前に埼玉に行ったような覚えはないよ。ていうか生まれてこの方埼玉に行ったことなんて一度もないし。」
「そ、うですか」
力を無くして、腕を掴んでいた手をするりと落とした
ああ、やっぱりそうですよね。無駄に足掻いて大恥をかいた。
ただ服装が似ていたから、そして今日があの人が指定した日にちだったから咄嗟に追い掛けて全くの別人を捕まえてしまったらしい。
冷静になれ、自分。
帝人は俯いて、落ち着かせるために、はーっと息を吐いた。そして引き止めてしまった彼にすいません、と謝る。
「僕の勘違いでした。」
こういう時は素直に謝るに限る。勢いよく頭を下げると青年は一歩下がって、いや、と言った。
「―キミは…」
「…?」
「帝人ー!!」
「へ?…あ」
青年が何か言い掛けたと思い帝人は顔を上げたが、後ろから自分の名前を呼ぶ声がして咄嗟に振り返った。しまった、そういえば正臣を忘れていた。
人混みからこちらに向かってくる金髪が見える。帝人は青年に向き直ってもう一度頭を下げた。
「本当にすいませんでした!」
「あ、いや、」
相手の返事を聞く前に帝人は急いで正臣の方に向かって走っていった。
だから帝人は気が付かなかった。
青年が帝人の走り去っていく後ろ姿をじっと見つめていたことを。