お兄ちゃんといっしょ。(仮)

□Valentine's debut
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 その日、千鶴のお迎えは左之助ではなく左之助の母親だった。

 高校最後の大会の後、部活を引退してからは千鶴の帰りのお迎えは左之助の担当だったのだが、その日に限って外せない学校の用事のせいでその役割を母親に譲っていたのだ。

 勿論、前日のうちに迎えに行けないことを説明していたから、千鶴がぐずることはない。

 本当は説明の時点で少しぐずって欲しかった左之助だったけれど、千鶴は聞き分けのいい子供だった。

『じゃああしたは、ちるるがにぃににおかえりなさいするね!』

 自分の胡座の中にすっぽり収まった千鶴が、身体を傾けて見上げるようにしながらそう言った時点で、ぐずって欲しかったという内心の呟きを即撤回する左之助である。

『そうだな、お迎え行ってやれねえのは残念だけど千鶴におかえり言ってもらえるのは嬉しいな』

『うん! ちゃんとおかえりなさいするから、おそくなったらだめですよー』

 左之助に寄りかかるように座り直しながら、千鶴がませた物言いをする。

『気をつけます、千鶴姫』

 左之助の仰々しい返事に、千鶴ははしゃいだ笑い声を上げる。

 だがその時、千鶴がある考えを持っていることに左之助は気付く由もなかった。




「おばちゃまおばちゃま、ちづるおねがいがあります」

 手を繋いで歩いてくれる左之助の母親に千鶴がそんな声かけをしたのは、普段よく訪れるコンビニの看板が見え始めた頃のことだった。

「お願い? どうかしたの?」

「んと、あの……。ちづるおかいものしたい、です」

 思いがけない千鶴の言葉に面食らったものの、左之助の母親はすぐに気を取り直す。

「今じゃないといけないの? 左之助が帰ってきたらお散歩がてら行った方がいいんじゃない?」

「にぃににはないしょだから、いまがいいの……」

 本人も気付かない程度に声が小さくなり頬がほんのりとピンクになる千鶴の様子に、左之助の母は笑みを浮かべる。

「判ったわ千鶴ちゃん。それじゃコンビニ見ていきましょうか。その代わり、おばちゃまには何を買うのか、教えてくれるわね?」

「うん!」

 許しの出た嬉しさか、千鶴の小さな身体が弾むように歩を進めていく。

「それで何を買うの?」

「ばれんたいんの、ちょこれーと!」

 ある程度予想通りの答えに、問うた人物はますます笑みを深めたのだった。




 コンビニの店内に入った千鶴は一目散にお菓子のコーナーへと走る。

 そしてどれを選ぶのかなどの迷いを一切見せることなく、千鶴は少し爪先立ちになってそのチョコレートの置かれている棚に手を伸ばす。

「うん……、しょ……っ」

 伸ばした手の先にあったのは、赤い包み紙の一枚の板チョコレートだった。

「千鶴ちゃん、それでいいの?」

 心配そうに訊ねてくる声に返されたのは、はにかんだような笑みだった。

「うん。ちづるのおこづかいでかえるのがいいって、にぃにもうれしいっていつもいってるの!」

 だからこれがいい、と千鶴はレジに向かう。

 それにこの赤い包装が左之助を思わせるから、これしか千鶴の目に入らなかったのも事実だ。




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