操花の花嫁 弐
□終巻 桃幻花
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〈其ノ二 愛慕(アイボ)の果て〉
何もかもが幸せだった。
朱禅の隣にいれることが嬉しくて、ともに刻んでいける時間が愛おしくて、生きていることに心満たされる。
だが、ひとつだけ、和歌には不可解な事があった。
朱禅が案内してくれた"国"とやらは、本当に立派な"国"だった。それも、国家と呼べるほどに独立した体制を気づいている。
王は、朱禅。
戦のたびに、朱禅は勝利をおさめ、その都度、国は大きくなり、人も増える。
三年も過ぎれば、朱禅は神にも勝る地位にまで上り詰めてしまった。
人々は、朱禅をあがめ、許しを請(コ)い、絶対服従を約束する。
時々、朱禅が朱禅でなくなってしまったかのように思う時があった。
見下すような瞳も、さげずむ暴言も、残虐な処罰も以前の朱禅からは想像もつかなかったが、国が大きくなれば甘いことばかりも言っていられない。ときに、無情も必要。
もとより朱禅以外の人間を好きになれなかった和歌のこと、特に重要視する問題ではなかった。
朱禅は、初めて会ったあの時から、何も変わらずに接してくれている。
穏やかな時間。
それだけで十分だった。
そうしてさらに一年が過ぎた頃、和歌の身体にある異変が訪れる。
「───…っ…」
まさかと思い、お腹に手を当てて確信した。
「………。」
小さいながら、命の波動を感じる。
確かなそれに、知らずと心は舞い踊っていく。
「朱禅っ!! 朱禅、聞い……しゅ…ぜん?」
少しでも早く知らせようと、焦る気持ちを押さえながらたどり着いた場所で、和歌は大きく目を見開いたまま固まった。
と同時に、一歩後ずさる。
「……朱禅?」
今、目に見えているモノが本物かどうか疑心に満ち溢れた和歌の声が、"ソレ"に尋ねた。
淡い桃色の結晶石の中に閉じ込められた朱禅の身体。
「朱禅ッ!?」
思わず駆け寄って、その石に触れた所で、朱禅の声が和歌を呼ぶ。
「───…ッ!?」
振り返って、絶句した。
無理もない。
そこには、朱禅と同じ容姿をした、もうひとりの朱禅が立っていた。
あまりに突然の出来事に、頭が混乱する。
目の前で"普通"に立つ朱禅と、真後ろの閉じ込められた朱禅。
どちらが本物で、どちらが偽物?
いや…どちらも本物で、どちらも偽物かもしれない。
「どういうことじゃ?」
頭が、現実を受け入れることを拒否していた。
「朱禅ッ…どういうことか説明しッ!!?」
話すことが出来そうな朱禅に近寄った和歌は、一瞬にして、それが朱禅でないことを知る。
「おぬしは……誰じゃ?」
正常な判断がうまくいかずに、青ざめた顔のまま和歌は双方を照らし合わせた。
どこからどう見ても、朱禅が朱禅であることに変わりはない。
でも違った。
感覚でわかる。
"動く"朱禅には、いつもの優しさや人の良さは感じられない。
ひどく冷めた目をしていた。
「朱禅に…何かしたのか?」
半透明の石に閉じ込められた朱禅を守るように、和歌は目の前の朱禅に敵意を向ける。
全身に緊張を張り巡らせ、警戒心を隠そうともしていなかった。
フッと、朱禅が笑う。
「ッ!?」
身の毛のよだつような悪寒を感じた。
ノドから出すような、嫌な笑い方を朱禅はしない。人を見下すような、鋭利な視線を朱禅は向けない。
「朱禅に何をした!?」
完全に朱禅の姿をした"何か"がいた。