ソレが無いのは致命的!

□続:03
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 そうして、いま。

 朝の支度を全て終え、寝室の扉を開けるとそこに。
 先ほどまで夢の住人だったはずの男が、床の上で土下座しながら私を待っていた。

「なんか! いろいろ! 迷惑かけてごめんッ!!」

 その潔さたるや。
 本当にこの男は、私には到底真似できないことを、いとも容易くやってのける。
 その真っ直ぐさこそが、惹きつけてやまない魅力だと、けれど本人は微塵も気づきはしないのだ。

 感嘆の吐息をひとつ、そっと気づかれぬように吐く。
 それからいまだ顔を上げようとしない彼の傍らに膝をつき、その肩を軽く叩いた。

「おはよう、成歩堂。気分はどうだ、頭痛などないか?」

 覗き込むようにしてその顔を見つめ、顔色の悪くはないことを確認しつつそう言葉をかければ、次いでパッと顔を上げた彼と真正面から見つめ合う。
 その黒い瞳は、昨夜のことを思い出しでもしたのだろうか、視線が合った瞬間からウロウロと彷徨い出した。

「い、あ、うん、大丈夫……いや違う! 大丈夫じゃないのはお前のスーツ…! てか何で僕がお前のベッドで寝てたのかとか色々大丈夫じゃないこといっぱい!!」

 顔を青褪めさせたと思った次の瞬間には、赤く染まっていく。
 そのような落ち着きのなさに、混乱が見て取れたが、私はその問いに答える前に、優先させるべきことを伝えた。

「ああ、きちんと説明はするが、まずは顔を洗ってきたまえ。あまり時間はないぞ。君も仕事だろう?」

 ベッドヘッドの上にある卓上時計を視線で促せば、成歩堂もハッとしたようにそれを見つめ。
 次いで慌ただしく「洗面所借りるな!」と立ち上がった。

「タオルは棚に乾いたものがあるので、それを。簡単なものだが朝食も用意してある。準備ができたらリビングに来たまえ」

 洗面所へと向かう背にそう声をかけ、リビングで紅茶を片手に新聞紙を眺める。
 職業柄、日々の基本的な情報は極力朝のうちに脳内へ入れておくのだ。
 そうして普段通りに過ごしていれば、いくらもしないうちにスッキリとした顔の彼が現れた。


「来たか。二日酔いなどではないようだな」
「…あ、うん、お陰さまで。えーと……」

 所在無さ気に佇む彼を、まずは私の目の前の席に座らせる。
 紅茶をポッドからティーカップへ注ぎつつ、まずは最初に聞きたかっただろうことを伝えた。

「君のスーツは汚れてしまっているのでな、応急処置はしたが、私のものと一緒にクリーニングに出しておく。今日は出勤前に自宅に戻って着替えると良いだろう」
「何からナニまで、まじサーセン……」

 うう、と項垂れる成歩堂は、この上もなく落ち込んでいる。
 気にするなと言ったところで無駄なようだったため、まずは食事を採るように勧めた。

 両手を合わせて「いただきます」と食べ始める、その姿がまた微笑ましく、思わず口の端が緩む。
 ああ、末期だな、と。
 己の状態を冷静に分析するもう一人の自分が、そう脳内で嘆息するが、それすらも愉快に思えてしまうのだから仕方ない。

 胃の中のモノを全て吐いた後、今まで眠りこけていた彼は、随分と腹が空いていたのだろう。
 思わず「ペースが早すぎる。よく噛んでから呑み込みたまえ」と忠告した、そのそばからグッと喉にでも詰まったのだろうか、苦しげに胸を叩くので呆れた。

 コップの水を手渡せば、顔を真っ赤にさせながら受け取り、次いでごくごくと飲み干していく。
 ぷはっとひと息ついた彼の様子に、意図せずこの口からはくすりと笑みが零れてしまった。

「わ、笑うなよ!」
「君が笑わせるようなことをするからだろう」
「不可抗力だろッ」
「つまり天然だと自分から暴露しているわけだな」

 横たわる沈黙の中で、むぐぐと尖った口元に、恨めしげな顔でこちらを睨むその瞳。
 けれどその数瞬後には、どちらともなく息を抜き、互いにふふと笑い出す。

 相変わらず、この男と交わす会話は、この上もなく楽しいものなのだと再認識した。
 そしてその認識は、確認せずとも相対する彼とて、同じなのだということもわかる。
 何よりも雄弁に、その楽しげな瞳が語っていたからだ。

 けれどどうしてだろう、私だけがこの楽しさだけでは、満足できなくなってしまった。
 満たされるべき心の隙間に、切なさが込み上げるのは何故なのか。
 決して、彼との居心地の良い空気感が壊れることなど、望んではいなかったというのに。

 それでも、私は。


「そういえば成歩堂、昨夜のことはどこまで記憶しているのだ?」


 問えば、あからさまに固まったその顔は、見る間に蒼白になっていった。
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